2015年1月31日

嫌悪健康法

 嫌いな奴が嫌な奴で居続けていてくれることに安心する。そういう気持ちって、ほんとは嫌な奴じゃなかったらどうしようっていう不安が存在することの裏返しなのかもしれない。不安っていうか、この場合期待って言い換えてもいい。ほんとに嫌な奴で嫌いだけど、実は素敵な一面があって、それを知ることで嫌いじゃなくなるかもしれないって、どこかで思っていたりもする。それって長い時間の嫌悪の合間に訪れるブレスみたいなもので、不定期にやってくる。
 しかし、そもそも人を嫌うとその人は相手との関係性をできるだけ遮断するようになる。相手となるべく会わないように、会ったとしてもできるだけ見ないように、喋らないように心がけるようになる。ってことは相手のことをより一層深く知る機会を自ら棄てているわけで、相手に抱く気持ちがいい方に傾くなんてことはなかなかなさそうに思える。むしろ逆、抱いている嫌悪をどんどん増幅させていくことになる。記憶の中の相手の情報が、時間の経過と共に削がれていき、深く濃い部分(すげー嫌な記憶)だけが残る。そうして苦い記憶のエスプレッソのできあがりだ。最初は「嫌な奴!」だったのが「嫌い!」になっていく過程には客観性の欠如が窺えるので、記憶の中でも客観性のある情報から先にどんどん削がれていくのだろう。会えば会うほど好きになるという話があるが、これは会わなければ会わないほど嫌いになるという話になるだろうか。ほとんど僕の感覚だけどわりと現実味がある話だと思う。
 そうやってどんどん人を濃く深く嫌いになっていくわけだが、当然そういうのは疲れるし、変な話だけど飽きもする。そういうときにやってくるのがちょっとした期待だ。そろそろ許してやらんでもないなって気持ちになることがあるのだ。それは息継ぎみたいなもので、どす黒い感情をいったんきれいに浄化してくれる。心が広くなって、なんだかいい奴になったようないい気持ちがする。たいていそういう感情は一時の過ちで、本当は嫌い続けた方がよかったってことのほうがほとんどだけど。まあそれも必要なものなのだ、きっと。たまには息をしないと人は死んでしまうから。
 嫌いな奴を本当に嫌っているときは「一生嫌い続けていたい」って思ってるけど、それがもし嫌いじゃなくなったとき、自分が過去抱いていた嫌悪を否定するってことにもつながりかねないし、そういう自己矛盾を抱えて生きるよりかは人をずっと嫌い続けていられるほうがずっと健康的だし、そのためにも相手がずっと嫌な奴でいてくれると安心して嫌っていられるよね!という話。


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 余談だけど、いつの間にか誰かに対して「嫌な奴!」だったのが「嫌い!」になっていくことに自覚する瞬間ってあるよね。あの苦い気持ちったらない。自分の性格の悪さを自覚してもだえそうになる。でもまあ、ほんとに嫌な奴なんですけどね、そいつ。

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