2015年2月4日

あいつの胸の穴は私の空虚さのしるしだ。

 あいつはずっと「殺されたい」と言っていた。「死にたい」ではなく。私はずっとその言葉の意味がよくわかっていなかったけれど、最近ようやく少しだけわかるようになってきた。最近の私は生きるのがめんどくさい。でも死ぬことだってけっこう面倒だし、確実に死ぬためにはある程度入念な準備が必要になる。だったら誰かの手で殺されるのが一番いい。あいつもたぶん、ただ単に、いろんなことが面倒になってしまっただけなのだ。
 あいつは殺された。渋谷駅で頭のおかしい男が包丁を振り回すニュースがしばらく話題になっていたけれど、あいつはその被害者の一人になった。恵比寿で服を買ったあとちょっと遊びにでかけたところで背後から突然刺されて死んだ。
 なんだ、よかったじゃん、なんて当然思わない。私はあいつのことがそれなりに好きだったから「殺されたい」とか言ってても取り合わずに生きて欲しいと願った。たとえそれが私のエゴだとしてもいいと思った。なのに。
 通り魔は最初にあいつを刺してから七人の背中と腹と腕を裂き、それから自らの胸を刺して自殺した。私は憎む相手も失ってしまった。向ける相手のいない殺意は、少しずつ私の腹の底で重みを増し、私自身を蝕んでいく。
 どうしようもないな。何も手がつかなくなって仕事をしばらく休んだ。私にはもう何もないような気さえしてくる。私にとってあいつは私以上に私を占めていたのだ。
 何度も私は夢を見た。顔に生暖かいものが垂れてきて、手でこするとぬるりと滑る、手を見るとそのどろどろしたものは赤い。「あ、血だ」見上げるとそこには小さな裂け目があって、血はその穴から垂れている。穴の向こうに見えるのはふたつの目。ぎょろりと光っている。私はそれを見てすぐ、あいつを殺した犯人だと気付く。殺す! 私はとっさに手を伸ばして穴の中に突っ込んでいく。ずるずるぶちぶちと何かをひっかくような感触、気持ち悪い、そんな感覚を無視してとにかく腕を穴に突っ込んでいく。血が噴き出してくる。私は通り魔の目玉を突き刺すつもりで指の爪を立てているけれど、その爪は穴の内壁を削いでいくだけで、通り魔どころか穴の向こう側にもたどり着かない。肘のところまですっぽり穴の中へ収まったところで、あいつの声が聞こえる。「殺してくれ」。そこで目が覚める。
 本当は私があいつを殺すべきだったのか? そんなはずはない。あいつは死ぬべきじゃなかったってのがほんとのほんとだ。でも現実というものは本当にそうあるべきようにはならないものだと思う。私があいつを殺して、通り魔が私を殺して自殺するっていう現実も、ありえない話ではない。なーんて。
 だらだら無意味に想像を膨らませるなんて、私は現実に今起きていることについて考えるのに疲れてしまったのだろうか。といって架空の話について考えるのだってよけいに虚しくなるだけだ。何も考えるべきでない時に本当に何も考えずにいるっていうことがどれだけ難しいか痛いほどよくわかる。とにかくお願いだ。誰か、私の思考を止めてくれ。私はもう、面倒になったのだ。

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