2015年3月24日

みんないびつな平凡。

微温的日常ウェットSF。設定がちょっとだけSFなだけです。いびつな世界でいびつな僕ら。そういうふうにできている。

http://bit.ly/1BMc5b7 (えあ草紙)
↑このリンクから縦書きでも読めます。Flash環境あれば開けるはずだけどPC推奨(そもそもスマホとかでは長すぎて読めないと思う)。このサイト上で読むよりこれのほうが読みやすいかと思われます。

目次

<1><2><3><4><5><6><謝辞とあとがき>

1.


 最初から最後までよくわからないのは現実とそっくりだ、と僕は感想を述べた。チコは案の定しかめ面をする。会話の最初にこういうフックを使うのは焦れったいし悪い癖だぞと僕を叱る、そのやりとりも含めて定型になった挨拶が、いつも通りの気だるい朝をふちどってゆく。まだ早い教室には僕とチコしかいなくて、そんな中でする会話はなんでもないのに秘めごとじみて心地よい。僕は椅子に腰掛け、チコは前の席の机にまたがり、向かい合って話をする二人だけの時間。
 僕は鞄の中から一冊の本を取り出した。鞄を開くだけでかび臭い空気が広がる。エア・コンディショナーのセンサーがそれを感知して空気を急速に入れ換えてゆくと、すぐに臭いは感じられなくなった。
 本なんて、チコに借りるまでは実物で見るのは博物館以外では初めてだった。紙が貴重品になる前の時代の遺物だ。それにE.E.が導入されて以後は何の用も為さなくなってしまったから、今では小説を読むという行為すら廃れているのだ。あまりに、古い。全体が茶色に焼けてぼろぼろで、表紙はもう残っていない本。本文だけが存在している。タイトルのない小説。
「それで、タイトルはわかったの?」
「どうだろうか」
 僕はおどけてみせる。これも悪い癖だって自分でも分かっているけど、そういう性格なんだ。チコはまだしかめ面を解かない。元々そういう印象を受ける顔つきではあるけど。
「でも顔はわかったって言ってるよ。そんなに自信があるんだね」
「まあ、それなりには」
 チコはすんと鼻息をついて、胸の下で腕を組んだ。さあ言ってみろと言わんばかりに。いいさ、答えてやる。仰るとおり、自信はないわけではない。
「ライ麦畑でつかまえて、だろ」
「へえ?」
「合ってるかな」
「どうだろうか」
「顔は合ってるって言ってるよ」
「……お見事」
 チコは目を丸くして、大きく息を吸い込んでから、止めた。本気で驚いてるみたいだけど、僕のE.E.はそんなゆれを感知していないから、実際はそれほどでもないのかもしれない。チコはいつだって大げさだ。
「ネットワークを参照した?」
「チコがするなって言うから、してないよ」
「実は最初から知ってたとか?」
「正真正銘、これが僕の人生初の読書だって」
「でも――」
 チコはため息をついて言葉を濁し、口元をほころばせた。チコはなんだか安心しているみたいだった。僕にはそれがわかる。
「それで本当にわかったんだ。すごいね」
「この小説のタイトルにするならこの言葉しかないよ。展開としてもそこが一番の山場だって、直感的にわかった。言ってしまえばただの金持ちの坊ちゃんの神経症の話ってだけで、最初から最後まで面白さは理解できなかったけど。でも――」
「それで、最初から最後までよくわからないのは現実とそっくりだ、って?」
「ああ――うん。そういうこと」
 そうだ、その話だった、と僕は思い出す。チコは組んだ腕をほどいて満足そうに頷いた。
「ようやく会話がスタート地点に戻ってきたみたいだ」
 これくらいはいつものことで、慣れている。僕もチコも。でも今日のチコはちょっと違うみたいだった。チコは前の席の机からお尻を離して、僕の机の上に手をつくと、僕の目を見て言った。
「よくわからないのは現実とそっくりだ、ってどういう意味?」
 チコの顔が近くて、髪の匂いがする。チコのつり目が僕を捉えて放さない。チコは何だか、焦れているみたいだ。ところが僕はチコと目を合わせたまま離すことが出来ず、硬直して話すこともできない。チコは時々動物みたいに行動する。まあ今のは動物ってほどでもないけど、何というか、そう、まるで小説の中の登場人物みたいに。まさしく「ライ麦畑」の主人公ホールデン・コールフィールドのような、そういう奔放さが、ごくまれに周囲をあっと言わせる事があって、それが今だ。感覚的には硬直が溶けるまで十数分はかかった気がした。僕はやっとのことで、言葉を吐き出した。
「小説はよくわからなかったよ。ホールデン・コールフィールドの情動的な行動はなにをとってもむちゃくちゃで筋が通らない。理解できるはずもないよ。僕らにはE.E.があるからね。この現実世界ではそれが普通であるはずなんだけど、この本を読んでると、なぜか、そのことに違和感を感じるんだ」
「――違和感」
 チコが僕の言葉を繰り返す。僕が言葉に乗せた以上に含みをもたせているのかもしれない。ひとまず僕は頷いて、続ける。
「もしかすると、このよくわからない小説の世界こそが正しくて、この世界が異常なんじゃないかって思ってしまうんだ。この小説を読んで何も感じることのない僕自身にまとわりつく不自然さを、どうしてもぬぐえない。みんなどこか少しずつ歪んでいるような、そんな気がするんだよ」
 僕はなんだか言ってはいけないことを言っているような気がしていた。たとえここが僕とチコの二人だけの空間であるにしろ、僕とチコが恋人同士であるにしろ。言い終えるとようやくチコは僕から離れて元通りに前の席の机へと腰掛けた。チコは僕の机の上から「ライ麦畑」を手に取り、鼻先にかすめて匂いを嗅いだ。このかび臭さを心底愛しているかのように、深く息を吸った。
「その違和感を決して忘れないでね、ナギ」
 僕の不安とは裏腹に、チコはやさしく笑ってそう言った。口元は本で隠れて見えなかったけど、たぶん笑っていたはずだ。そう、僕にはわかるんだ。
「それで、このクイズには何の意味があるのかな?」
「意味なんてないよ。気まぐれ気まぐれ」
「嘘だ。チコは何にでも意味を求めるタイプだろ。気まぐれでこんなことするわけないよ」
「ふふん。ナギくんにもそのうち分かりますよ、きっと」
 チコは僕の頭を撫でると、くるりと背を向けて自分の席へと戻っていった。まったく、人を馬鹿にして。
 その直後、偶然にしてはぴったりすぎるタイミングで、教室の扉が開いた。
「おはよううああ」
 挨拶が途中からあくびになっている。入口に立っていた小柄な少女はイアだった。今日もまた眠そうに目をこすっている。
「珍しい語尾だね」
「語尾じゃないよ、ナギくんのばか」
「おはよう」
「ん」
 イアは小さく頷いて自分の席に荷物を置くと、小さい歩幅で僕の席までやってきた。
「ここはイアの席じゃないぞ」
「私、寝ぼけてないよ」
「はいはい、ねんねんころりよおころりよ」
「時代が違いすぎてネタがわかんないよ……」
 僕はイアをあやしながらチコの座っているほうへ視線をやった。チコはこちらに背中を向けて、窓の外を見ている。変だな、いつもならここでチコも混ざってイアをからかうのに。
「そんなことはどうでもいいんだよ。それよりさ、ナギくん。もう希望する進路は決まった?」
 イアはもうすっかり目が覚めたみたいで、というか僕のほうが目を覚まされた思いだ。そうだ、すっかり忘れていた。僕はここ数日ずっと、生まれて初めて読む小説と格闘していたのだ。進路のことなんて考える余裕もなかった。
「イアはどうなのさ」
「私? 私は決まってるよ。もうずっと前から」
「へえ? いや、でもうっかりしてるようでしっかり者だからな、イアは。さすがに一人暮らしが長いだけあるよ」
「ねえ、いつから私はうっかりキャラなの?」
「で、しっかり者のイア先生は何をめざしているのやら」
「……もう。うん、そうだよ、先生」
「え?」
「私、学校の先生になりたいんだ」
 正直くらっとした。イアでさえ進路を決めているんだからチコだって当然そうだろう。同級生がもう具体的な将来を描き始めているという事実はちょっと受け容れがたい。なんだか僕だけが置いてけぼりにされているような気がして。それなのに僕は全然自分の将来について考えられないのだ。そのことになると頭が全然働かなくなって、ただ逃げたくなる。この現実から。
「へえ。でもイアが生徒にものを教えてるところなんて全然イメージできない」
「うっ。私も……」
 イアは本気で悩んでるみたいで、僕はちょっと戸惑う。話題の方向を変えよう。
「それにしても、なんでまた教師に」
 尋ねるとあからさまにイアの表情は明るくなった。どうやら最初からそれを話したかったみたいだ。E.E.にも好意がはっきり伝わってくる。
「それはね」
 イアはぴんと指を立て、わざとらしい演技っぽい口調で言った。
「私、ハサ先生みたいになりたいのよ」
 言われてからそれがハサのものまねだったと気づいた。特に抑揚があまりにも似ていない。それにしてもなぜハサ?
 イアは立てた指を下ろして咳払いをした。演技は終了したようだ。
「なんでハサに憧れてるんだ?」
「ああっ。憧れてる、なんて無粋なこと言わないでよ。まあ確かにそうだけどさ、まるでハサ先生のことが好きだから先生になるんだなんてふうに思われたくないんだよう。先生は私にとっての目標なの、好きとか憧れとか関係なく。ハサ先生の優しくも厳しいところが私はかっこいいと思うんだ」
「ふうん」
 優しくも厳しい、ねえ。僕には生徒に「優しくも厳しい教師」を演じる合理的すぎる人間に思えて苦手だけど、でもそれを言ったらイアにだってけっこう合理主義なところがあるのだから、きっとどこか近いものはあるのだろう。
「あまりに大きい人生のことなのに、よくそんなふうに決断できるね」
 イアの意識の高さに感心して思わず本音がこぼれた。なんだか嫌みっぽく聞こえる言葉だと言ってから気づくけど、イアにはそんな言葉は無意味だ。
「自分の人生だもん。ちゃんと決めなきゃ」
 イアはいつだって自分をしっかり持っている。僕はそれについては本気で尊敬している。安心もしている。
 銃声が突き抜けたのはその時だった。窓ガラスをびりびりと響かせる。これも、いつものこと。そう、鳴った瞬間にそれが銃声だとわかる程度には日常。
「ナギくんも早く決めないと。進路のこと真面目に考えないとだめだよ?」
 また一発。乾いた音はよく通る。この音には慣れている。僕もイアも、チコも。音は遠くから聞こえてくる。教室の窓の外から。
「……って、あんまりプレッシャーをかけすぎるのもよくないのかな」
 イアは何事もなかったかのように、いや、実際に何事もないのだからそれでいいのだけれど、あたかもエア・コンディショナーの作動音ほどは耳障りではないとでもいうように。穏やかに、微笑んで。
「今日の放課後、どこか遊びに行こうよ。きっと気晴らしになるよ。……そうだ、チコも一緒に行こうよ、いつもの、みんなで」
 イアはチコに向かって言った。チコはずっと窓の外を見ている。チコは答えず、残響の鳴る学校の外をただ見ている。
 チャイムが鳴って、いつのまにか教室はごった返していた。イアも自分の席に戻っている。ハサが教室へ入ってくるとみんなが慌てて席に着く。
「起立。礼」
 僕は何に引っかかっているんだろう。何がこんなにも僕の頭をかき乱すのだろう。教壇に立つハサは現代社会についてのあれやこれやを語り始めるが僕はいまいち集中できない。第三次世界大戦とか、E.E.とか、ピーキーとか、単語だけが頭を通り抜けて残らない。
 僕はチコをまねて窓の外を見た。本当に何なんだろうね、まったく。



2.


 放課後になって、帰ろうとするチコをイアが引き留める。
「ちょっと。遊びに行くんだよ、私たち!」
 そういえばそんな話になっていたっけ。イアに捕まったチコはまたしかめ面をして僕を睨んだ。僕? やっぱりチコとイアの間には何かあったみたいだけど、もしかして僕もそれに巻き込まれているのだろうか?
「どこ行こうか?」「みんな行きたいところある?」「私はそうだなあ、買い物したいかなあ」「そう言えば服が欲しいんだよね、秋冬物の新作そろそろ出てるだろうし」「じゃあデパート行きますか」とイアは一人でどんどん話を進めていく。他に誰も喋らない気まずい空気をなんとか紛らわせようと気を遣っているみたいだ。チコは依然口を開かない。僕は僕で、ここ最近ずっと続く違和感で頭がいっぱいだった。あの小説を読んでから僕はずっとこんな調子だ。
 まだ日の高い時間だからか、デパートは空いていた。
「これだけ空いてると、制服は目立つね」
 イアがそう言うと、チコもそれに同意した。
「確かにそうだね。まずみんな一着ずつ服を買うのはどうかな」
「僕は構わないけど……」
 おや? 普通に考えて制服で居心地が悪いからといって服を買うだなんてありえない。どう考えても服を買うための出来の悪い口実だ。なんだかチコのやつ、デパートに着いてからちょっと乗り気になっているみたいだ。おそらくデパート付近の平均的感情がやや明るくなっているせいだろう。イアと話したのも今日これが初めてなんじゃないか。デパートというイアの選択もあながち悪くはなかったみたいだ。
 イアが最初に正面の店に入っていったので、僕とチコがそれに続く。そこは「milky baby」というブランドの店舗で、甘めの少女らしい洋服が並んでいる。早速イアは白のブラウスを手にとっているが、チコには興味がないらしい。僕の横でじっと腕を組んでイアを見ている。
「こういう服って何歳になったら卒業すればいいのかの見極めが難しいよね」
「確かに……。でもイアなら、着られる間に着とかないとって言いそうだ」
「言いそう。でもそろそろ限界じゃない? 高校卒業したらもうダメでしょ」
「そんなもんなのかな」
「高校生が着ててもちょっと痛いのに。まあイアは小柄だからまだ大丈夫かもしれないけど」
「シビアだなー……」
 僕とチコが話しているとイアが僕らのほうへと振り向いた。
「聞こえてるよ……」
 言いながらイアはさっきのブラウスと大きなプリーツのついたスカートを手にとって奥の試着室へ入っていく。僕とチコは顔を合わせて、肩をすくめた。
「そう言えば私、実はここに来るの初めてなんだよね」
「そうだったんだ。買い物はいつもどうしてるんだ?」
「家の近くに小さい商店街があるんだ。といっても点々と店がまばらに建ってる細い路地みたいなところだけど」
「まだそんなのが残ってたんだ。知らなかった……って、あれ? それってもしかして非公認営業なんじゃ……」
「そうだよ」
 チコは時々、平然ととんでもないことを言ってのける。非公認営業店は国に見つかったら即廃業。利用していた客にも罰金が科されることになっている。あまり人に打ち明けるような話ではないはずだ。
「へ、へえ。国に認められてないってことはイール通貨は使えないんじゃないの?」
「そうだよ。だからそういうところではまだ旧通貨の円貨幣が流通してるんだ。国の目を逃れてたとえばロンダリングなんかをするために円を使う人もいるみたいだけど、私が通ってる商店街はたんに地域の、主に高齢者が生活するために利用してるだけ。仮想通貨に抵抗がある人とか、いろんな理由で仮想通貨を使えない人っていうのはけっこうたくさんいる。だからまだまだ円にも需要があるんだよ」
 チコは性格どころか生活まで奔放らしい。そういう反骨的な自由さも僕がチコに惹かれている魅力の一部なのだと思う。
「知らなかったよ。でも、僕にそんな話をしていいのか?」
「もちろん、そんなの……」
 チコが僕に返事をする前に、イアが試着室のカーテンを開けた。ブラウスの丸襟を整えながらこちらを向いて、感想を伺うようにおずおずと視線を送ってくる。こういう時は僕が言うより女子同士のほうがいいだろうから、僕は黙ってチコを見る。お前が言えよ、と視線を送る。それがチコには伝わったようで、チコはしぶしぶ感想を述べた。
「似合ってるよ。イアの雰囲気にぴったり。それに細かいデザインが凝ってて、見ていて飽きない。可愛いと思う」
「本当?」
 チコのわりには正直な感想らしくて少し驚く。イアはまんざらでもないらしい。僕もとても似合うと思ったけれど、恋人であるチコがいる手前、言うのは少し憚られた。
 中略、まいどあり。イアは即決でブラウスとスカートの上下セットを購入した。既に着替えたイアはほくほく顔で、どこか歩くステップも軽やかだ。
「次はチコかな」
 僕がそう言うと、チコはきっぱりと首を振った。
「先にナギが選んで。私は後でいい。ちょっと時間がかかると思うから」
「ああ、そうなの? じゃあお先に」
「そういえばナギくんの私服って見たことないけど、どんなの着てるの?」
「お気に入りのブランドがあって、そこでずっと買ってるんだ」
「へえ、意外」
「上のフロアに行くぞ」
 僕らはいつも通っているブランドの店舗へたどり着く。「ミソカ」。
「洗練されたシンプルな普段着が主なラインになってる日本のブランドなんだ。シンプルだから時代にとらわれない普遍性があって誰にも着やすい。何気ないようでいて気配りの利いたデザインは機能面でも優秀で、長年ずっと使えるしっかりしたつくりにもなってる。むしろずっと使っているうちに味が出てくるような素材のものが多くて、価格帯もほどほどに――」
 話している途中でようやく僕を見る奇異の目に気づいた。
「いいから、早く選んでよ……」
「はい……」
 少し喋りすぎたかもしれない。視線が痛い。
 ともあれ僕はここで買うものは大抵決まっている。白のオックスフォードシャツと綿パン。サイズはいつもと同じものを選べばいいから、試着は特にしない。即購入。トイレで着替えて、震えた。
「やっぱりさ、この瞬間が最高だね。おろしたてのシャツに袖を通す瞬間が。いいシャツは初めて着るのに肌に馴染んで一体感を得られたり、何度洗ってもおろしたての時みたいな気持ちで着られたりするから好きだね。しっくりくるし、居心地がいいんだ」
「ナギくんがこんな変態だったなんて知らなかったよ……」
「同感ね」
「人の趣味を馬鹿にするなよ。僕は居心地が悪いのが苦手なんだよ。だからこういう、身体に一番近いところにあるものにはこだわらないと」
 チコもイアも呆れて反論する気はないようで、僕を無視して先へ行く。
「次は私ね」
 さらに上のフロアへ移り、しばらく様々な店舗の店頭を眺めて回った。でもなかなかこれといった服が見つからないようだ。一つも試着しないまま五店舗ほど巡ったところで、僕はチコを急かした。
「別にそんなに悩むことないだろ。とりあえず制服の代わりになればなんでもいいんだから」
 イアを見るとさすがに少し不満の色が顔に浮かんでいたのだ。なぜかそのことを口には出さずにこらえているみたいだけど。
「わかってるよ」
 チコは僕のほうを見向きもしないでそう答えた。商品の物色に余念がないらしい。
「チコ、さっきからちょっと変じゃない?」
 僕の横に立っていたイアが、小声で僕に話しかけてきた。チコに聞こえないようにするためだろう。どうしてそんなことをする必要があるのかわからないけれど、僕も小声で返す。
「変って、何が? そりゃちょっと悩むのに時間をかけすぎだけどさ」
「そうじゃない。チコを見てよ。ほら、さっきから服なんてひとつも見てないよ?」
 服を買いに来て服を見てないって、どういうことだよ。そんなはずはないだろう、と思ってしばらくチコを観察していると、確かにチコは衣服を見ているようで見ていない。どちらかと言えばその隣に飾られている小物、ハンカチや首飾りなんかをしきりに眺めていることに気づいた。
「ほんとだ。でも、なんで?」
「わかんない。自分が服を一着ずつ買おうって言い出したのにね?」
 謎だ。これは本人に直接聞いてみるしかないだろう。このまま何時間も目的の見えない買い物に付き合わされてもかなわない。
「チコ」
 呼びかけて、僕は店の奥にいるチコに近付いていく。チコが気づいてこちらを向いた。
「さっきから何を見てるんだよ。本当は服じゃなくて何か別の物を買いたかったのか?」
「……ばれたか」
「そりゃばれるって。選ぶのに時間かけ過ぎだし、いろいろ不自然だし。最初にチコがみんなそれぞれ服を買おうって言ったのはなんだったんだ?」
「あれは、口実。みんなが互いに買い物に付き合うようにすれば、私の買い物だけに時間を割かなくて済むでしょ」
「なるほど……。でも、そんなの気にしなくてよかったのに」
「ごめん。最初からちゃんと話しておくべきだったかな。実は私、プレゼントを買おうと思ってたの、お母さんに」
「なんだ、そうだったのか」
 そういえばチコの家族は母と二人きりだったか。納得のいかないこともあるけど、ひとまずは事情が飲み込めた。僕は背後で様子をうかがっているイアを呼んで、チコの口からイアにも事情を説明させた。
「そういうことなら……」
 イアは不満げながらも一応納得してくれて、それからチコのプレゼント探しが再開した。聞くところによると、チコが悩んでいたのは、母親の好みがよくわからないことが理由だったらしい。普段からあまり着飾らないのだと言う。
「でも普段から着飾らないからといっておしゃれするのが好きじゃないってことにはならないよね。女っていうのは死ぬまで変わらないから、ずっと可愛いものを好きでいるものだし。アクセサリーって選択は正解だと思う」
とイアが言うが本当だろうか。意見に大きな偏りがある気がするけど、チコは納得したように頷く。
「それなら服屋じゃなくて、ちゃんとしたアクセサリーの店に行った方がいいんじゃないか? 餅は餅屋でって言うし」
 僕の意見が通って、別の店に入ることになった。見つけたのは「パルムドール青山」という、少し品のいい、それでいて価格が抑えめのアクセサリー店。客層も比較的若者が多い。店内に入ると、チコはすぐに一つのネックレスに釘付けになった。金色の細いチェーンのトップに小さな淡いピンク色の石がぶらさがったペンダント。
「いいね、それ」
 イアがチコに言う。僕にはどれも似たような感じに見えるのだが、イアやチコには細かい違いがわかるのだろうか。僕が店の中を見て回っているあいだ、イアとチコは一生懸命話し合っていた。「これがいいよ」「でも、いいのかな」「いいに決まってる。チコがあげるものなんだから、お母さんが喜ばないはずがないよ」「でも……」とかなんとかやっているうちに、結局チコはそれを買うことに決めたらしい。プレゼント用に包んでもらっている間に、会計だ。
「お支払いはこちらのお客様でよろしいですか?」
と店員がチコを見て言った。チコは頷くが、思い出したように苦い顔をした。
「そういえば今手持ちがない……」
 チコが申し訳なさそうに僕を見る。
「チコにしては珍しいうっかりだな。イアじゃあるまいし」
「どういう意味かな」とイア。
「仕方ない。僕が払うから、チコは気にしなくていいよ」
「いいの? 本当に?」
「だって、僕たちは恋人同士だろう。これくらいのことはするもんだよ」
「……うん。ありがとう」
 チコは綺麗にラッピングされた箱を紙袋ごと抱えて、笑った。
「ありがとう」
 店を出てもう一度チコは僕に礼を言った。それからイアは疲れた顔一つ見せず言う。
「じゃ、帰りますか」
 いつの間にか三時間も過ぎて夕方七時。外に出ると傾いた太陽の光がビルの側面を焼いていた。デパートを出てすぐのところでチコと別れる。チコだけは僕やイアとは家の方向が違うのだ。チコが見えなくなると、イアはどんよりと深いため息をついた。まるで世界の終わりだとでもいうように。イアは僕の買ったばかりのシャツの裾を掴んで、まるい目で僕を見上げた。
「ちょっと話があるんだけど。いいかな?」
「どうせ、ダメだって答えは選択肢にないんだろ」
 そう言うと、イアはまたハサのものまねのポーズをした。
「よくわかってるじゃないの。そのとおりよ」
「嫌な予感しかしないんだけど……」
「いいから、話そうよ。立ち話も何だから喫茶店にでも」
 渋々、僕は頷く。
 喫茶店に入り、二人がけの小さなテーブル席に腰掛けてブレンドを二つ注文する。壁に掛けられたテレビから流れるニュースが店内のざわつきを中和させている。夜の波のような落ち着いたざわめきに包まれて、話をしないと間が持たない。ウェイターがコーヒーを持って来てからようやくイアは再び口を開いた。
「最近、チコがへんだ」
 それだけ言うとイアはずずずるるとコーヒーを啜った。ミルクも砂糖も入れずにそのまま舌に転がしている。
「変って、どこが」
 変といえば、いつもチコは少し変だけど。でも、確かにイアが言おうとしていることはなんとなくわかる気がする。
「チコったら、なんか授業中もずっと上の空だし、それになんだか私のことを避けようとしてるみたいなんだよね」
「ああ。なんとなくは気づいていたけれど、やっぱりそうだったんだ」
「今日だってむりやり買い物に連れ出してみたけど、ちょっと態度も変だったでしょ? みんなで服買おうだなんてうまい口実だよね、まったく。訳わかんないよ。しょうもない嘘をつかれたと思ったらなんだか腹が立ってきちゃって、途中から私もう早く帰りたかったもん」
「それで強引にあのネックレスを選ばせようとしてたのか」
「まあね。でも結局は喜んで買ってたし、良かったんじゃない?」
「買ったのは僕だけどな」
「まったく気楽でいいよね。私には母親はおろか父親もいないから」
「いないわけじゃないだろ。ご両親は国連の偉い職員で日本にはあんまり帰ってこないんだったか」
「そんなの、いないのと同じようなものだもん。私も親にプレゼントとかしたかったよ」
「すればいいじゃん……って、そういうのが気さくにできない関係ってことか」
「そういうこと。目の前でママがママがーって言われちゃうと、まあなんというか、ちょっと私には堪えるよ」
「なるほどね……。でも僕はちょっと安心したよ、チコとイアは別に喧嘩してるわけじゃないんだな」
「当たり前だよ。一方的にチコがへんなだけ。何なんだろうね?」
「疲れてるんだろう、きっと。進路のこととかで」
「あ。そっか。そうかなあ?」
「いろいろ大変なんだよ、チコだって」
「そりゃそうだけど……。でも私を避けるのはおかしくない?」
「確かに……」
 どうしてだろう。チコが僕に接する態度は以前と特に変わらないから、きっと僕にあってイアにない要素がどこかにあるはずだ。それがわかればチコの変化について説明するとっかかりになるのだろうけど。
「そういえば、チコの態度が変わったのっていつからなんだ?」
「うーん。そういえば、古い変な小説を読まされたときからかも」
「古い小説?」
 僕の頭の中に、表紙のない「ライ麦畑でつかまえて」が思い浮かぶ。ホールデン・コールフィールドの奔放な彷徨。
「うん。一応最後まで何とか読み切ったよ。本を返すときに感想を求められたんだけど、特にどんな気持ちも浮かばなかったから何も言わなかったんだよね。思い返すと、それ以来冷たく扱われている気がするなあ。……私たちがほとんど何も感じないなんて当たり前なのに。ピーキーじゃあるまいし」
 イアもチコに本を渡されていたんだ……。そのことが少しショックだった。でも、イアは何も感じなかった。感想を求められたときに、何も答えなかった。……そのことが何かチコの態度の変化を説明するヒントになっているのだろうか?
 イアはまた一口コーヒーを啜る。
「もしかしてそのことについて何か知ってたりする? かび臭い古い本で、タイトルはわかんないんだけど」
「知らないな」
 知らず即答していた。なぜかそのことについてはイアに話さない方がいいような気がしたのかもしれない。
「そっか」
 イアは素っ気なく、それだけ呟いた。会話の切れ目に聞こえるテレビのニュースがやけにうるさく、僕の頭をかき乱してくる。ピーキーが暴動を起こす。ピーキーは害悪だ。異常だ。人間としてあるまじき。云々。一方われわれ「導入者」はすばらしい。われわれだけが互いに理解し合える完成された人類なのだ。云々。頭の中のざわめきは収まらない。何か、何か話さないと。
「それにしてもイアはチコと仲直りしたいのか?」
「え? 違うよー。私はただ遠ざけられたから、何でだろ、変だなって思ってるだけで、それ以上のことはなんにも。他に友達ならいくらでもいるしね。導入者である私たちだけがわかり合えるって言うけどさ、わかり合うための努力をするって馬鹿らしいじゃん。ナギくんも、できればでいいから、ずっと私と仲良くしていようね。私、ナギくんのことは好きだよ」イアは笑う。
 僕はもうイアの話を聞いていない。テレビのニュースが途切れてCMに切り替わる。ズガガガガガガ。銃撃戦。彩度の高い映像が目まぐるしく切り替わって目を惹く。過剰なハレーション。不思議な浮遊感のあるBGM。バフォーン。装甲車が爆発して炎と土煙が舞う。一方的な正義の行使だ。VICTORYとJUSTICEの単語が交互に流れていく。最後には「Peaky Exclusion Team」の文字が並ぶ。国内軍ピーキー排除部隊、通称PETの隊員募集の広告だった。いつものCM。番組と番組の間のありきたりな退屈、のはずなんだ。
 僕はカップに口をつけて飲み干そうとしているイアを引っぱった。
「そろそろ帰ろう」
「えー? せっかくだからもうちょっとゆっくりしようよう」
 僕がそれを無視して荷物をまとめ始めるとイアも慌てて支度を始めた。
「え、ほんとに帰るの? ナギくんコーヒー一口も飲んでないみたいだけど」
「いいんだ、そんなのは。別にどうだって」
 急き立てられるように会計を済ませて店を出た。雑踏の何もかもが目に耳に入らないように、頭の中に残らないように、早足で歩く。
「ちょっと、ナギくん! 待ってよ!」
 おかしい。何かがおかしい。頭のざわつきが収まらない。いったいこの違和感はなんだ?



3.


 数日を経ても僕はなんだか落ち着かない。そんななか、放課後の教室に居残りさせられて、担任のハサと二人。居心地は最悪だ。ハサは確かに綺麗な女性だけど、どうしても好きにはなれない。何かの距離がどこか遠い感じがするのだ。
「どうして呼び出されたか、わかるわよね?」
「進路のことですよね」
「あら、よくわかってるじゃないの。そのとおりよ」
 僕はイアのものまねを思い出す。どうやらこれはハサの口癖らしい。
「単刀直入に聞くけど、ナギくんは進路についてどう考えているの?」
「下の名前で呼ばないでください、先生」
「失礼。それじゃ、マキ君。君の考えを聞かせてもらいたいんだけれど」
「はあ……」
「もしかして何も考えてないとか? それならそれで別にいいのよ、これからじっくり一緒に考えていけば。そのために私がいるんだから」
 その通り。考えなんて、そんなものはないよ。といって、何もしたくないわけじゃない。むしろ、すべてのことをしたいと思う。でも、そんなのは何も考えていないのと同じ事だろう。すべてのことをしたいだなんて、馬鹿なガキの世迷い言に過ぎないのだから。……なんてことは一言も口にできるはずもない。僕は黙る。
「マキくん……」
 ハサは淫靡なため息をついて、机に肘をついた。天使が通るひととき。僕はもう何の話をしていたのかすら思い出せない。思考がほとんど停止している。
 そんな気まずい空白の時間を裂くように、教室の外からまた銃声が聞こえた。パララ。パラタタタ。天使は撃ち殺される。ハサがまたため息をついて、話題を変える。
「最近もピーキーは全然減らないわね……。感情平均化制度《エモーション・イコライザ》、なぜピーキーはそれを受け容れようとしないのかしら。せっかく導入された画期的な制度もピーキーが拒否し続ける限りは完全じゃない。彼らは第三次世界大戦から何を学んだのかしら? 大事なのは全ての人間が感情を共有してひとつの生命体になることなのに。それが理想よ」
 ハサは立ち上がって歩き、教壇に立つ。僕に背を向けたまま話し続けている。自分の世界に没入しているらしい。まるでいつもの授業を聞いているような気分になってくる。でも話している内容は授業の範囲を超えたハサ個人の思想。そういえばハサは現代社会を担当する教師なのだ。そういう方面で凝り固まった思想を抱いていたとしてもおかしくはないだろう。もともとがガチガチな合理主義者なのだ。
「なのにピーキーは……。E.E.の導入は国民の義務よ。出生時に制度に登録し、ある程度発育した段階でE.E.を埋め込む手術をしなければならない。知っているとは思うけど、制度に登録のない人間は仮想通貨イールすらも使うことができないのよ。だけど、それでも記録上はE.E.を導入したことにして、実際は導入せず生活する者がいるなんて、あまりに馬鹿らしい。イールが使えないだけじゃない。その存在だけで危険視、迫害され、就労の権利すらないどころか、見つかればPETに殺されてしまうのに……」
 そうだ。これが現実なんだ。僕は考えなければならない。向き合わなければ。
「E.E.を導入した人間だけが本質的にわかり合うことができるのに。どうしてそれを拒むのかしらね?」
 拒んでいては生きていけない。すべて受け容れて生きていかなきゃいけないんだ。違和感も居心地の悪さもすべてひっくるめて。
「私にだってピーキーの感覚はわかるのよ。今まで何度かリンクが切れたことがあるの。田舎のほうへ行けば、今の日本の人口密度でも時々はリンクが切れる。あの時ほど不安を覚えたことはないわ。あまりに強烈な孤独感。リンクの接続は『誰かとわかり合える可能性がある』という感覚を導入者に与え、安心させる効果もあるのね――」
「あの、先生」
 そんな話はどうだっていいんだ。世界のことなんて、別にどうだっていい。どうせ受け容れなきゃいけないものについてあれこれ考えていても仕方がないだろう?
 ハサは振り返って僕を見る。
「何?」
 なにせ“そういう世界”なんだ、ここは。
「僕の希望進路がいま、決まりました」



4.


 チコはあれ以来イアとは話さなくなっていた。やはりチコはなんとなくイアを避けているし、デパートでの一件でイアのほうもチコのことを避けるようになったらしい。チコはただ僕だけと付き合って、僕だけと話す。でも僕と話している間もチコは意識的にいくつかの話題に触れないようにしているふしがあって、なんだかフェアじゃない。そんなの独りよがりじゃないか。
「逃げるなよ」
 放課後、僕はチコをつかまえる。腕を掴んで離さない。そのまま細い路地に連れ込んだ。僕にはチコに聞いておかなきゃならないことがある。僕らが対等な恋人どうしであるために必要なことだ。
「どうしてイアを避けるんだ」
 チコはそっぽを向いた。どうやら話す気はないらしい。でも、それくらいで引き下がるわけにはいかない。
「僕はチコの恋人だろ、話してくれてもいいんじゃないか」
 僕が恋人と口にした瞬間にチコはふっと息を漏らした。諦めたような笑顔で。その言葉だけでチコは簡単に口を割った。
「わかりあえないからだよ、私とイアは」
「何言ってるんだよ。友達だろ」
「そうだよ、友達。だからこそ、避けずにはいられないほど、苦しいんだよ?」
 チコがどう答えようと知ったことじゃなかった。僕に胸の内を打ち明けてくれるという行為そのものが重要で、どんな理由だって受け容れる。最初はそのつもりだった。だけど――わからなくなる。チコがいったい何を考えているのか。その深みに触れて僕は堪えられるのだろうか。恋人で居続けられるのだろうか。そのことがただ不安で、怖い。チコは言う。
「ねえ。E.E.のない人間は本当に、本質的にわかりあえないものなのかな?」
「……どういう意味だよ?」
 いったいなんの話だ?
「意味も何も、文字通り」
 それなら簡単だ。だけど、回答に悩むほどの質問ではないからこそ、質問の意図が見えない。この話題はどうイアとチコと僕に繋がっているんだろう。僕は少し考えて、答える。
「ピーキーは人の気持ちを分かったつもりになっているだけだろ。本当に理解し合うためにはE.E.が必要だ」
 当然の模範解答。今や世界の常識だ。だけど、チコはくるりと背中を向ける。僕にはその表情が見えない。どこからも読み取ることができない。
「本当にそう思ってる?」
「……当然。E.E.がないと人はわかり合えないし、逆にE.E.があれば強く莫大な愛で世界を包んで満たすことだって、ほんの一瞬の間なら、世界中のすべての争いを止めることだって、理論上は可能だ」
「でも」
 僕の話を遮るように、チコが大声を上げる。
「でも、それってそんなに大切なことなのかな?」
「当たり前だろ、そんなの」
「だったら、止めてみせてよ。世界中の争いを全部! ねえ!」
 チコは振り返って僕を睨む。僕は、何も言えなくなってしまう。ただ諦念が僕の頭全体を支配していることになんとなく気づく。暗い茫漠な海の中でひとり沈んでいるような、そんなどうしようもなさが。息が詰まって呼吸ができない。僕はチコに何を言えばいい。どう振る舞えばいい?
「全然分かり合えてない。E.E.があっても全然争いはなくなってないじゃんか」
「それはピーキーがいるからで、どうしようもないことなんだよ」
「それがおかしいって言ってるんだよ!」
 張り裂けるような大声に、小鳥が一斉に飛び立つ羽音。一瞬後に深い静寂が訪れた。雲が太陽を遮って、暗い垣根の陰がいっそう深く濃くなる。チコはうなだれて、ふらふらと僕に近付いてくる。抱き留めると、チコは僕の腰に腕を回してしがみついた。懐かしいチコの匂い。もうずいぶんと長い間チコとこうして寄り添うことがなかったような気がする。チコは僕の胸に額を押し当てながら、言う。
「ねえ、一番大切な事って何? たとえE.E.未導入者が本質的に他人と分かり合えないものだとしても、分かり合うために必死で互いに歩み寄ることができる。私にはそれが一番大切なことだって思えるんだよ。真の相互理解なんかよりもずっと。導入者が未導入者を頭ごなしに排除しようとするなんて、そんなの間違ってる。導入者の誰も立ち止まって考えようとしてない。現実への疑問とか違和感とか、そういうものを全部見ないふりをして生きてる。わかり合うための努力を、ひとかけらも抱こうとしないで。……こんなの、やっぱりおかしいよ」
 チコの声は僕の身体の中に声を響かせる。重たい楔を打ち込むように、一つ一つの言葉に力を込めて。僕とチコ、二人を繋ぎ止めているものはいったい何だ? 答えは簡単だ。
 ――E.E.《エモーション・イコライザ》。またの名を、感情データ送受信デバイス。脳に埋め込まれたそのチップは脳波から読み取った感情の波を数値化し、半径百メートル以内に存在する別のチップへ情報を送信、チップはリアルタイムでチップどうしの感情の平均値をとり、別のチップへ感情データを送り続ける。感情データを受け取ったチップは脳に信号を送り、その人物に平均的な感情を与える。それにより人類は安定した精神を得ることができ、かつ感情を欠損させることなく、あくまで人類が共有する財産とする画期的な技術――。
 僕はチコの頬に手を当て、顔を上げさせる。驚く目と目が合うと同時に、僕はチコの額に、自らの額をこつんと合わせた。今、僕はチコと、繋がった。
「……何、これ」
「『共振《レゾナンス》』。こうするとそれぞれのチップがふたつの脳波を同時に読み取って、互いの感情の波が等しくなる。二人だけで完全な感情の共有ができる」
「知ってるよ、そんなの。でも、ただの流行の都市伝説でしょ。実際は他人の脳波の影響を受けないようにロックがかかってるはず」
「そうかもしれない。でもさ、ほら。実際にこうして僕らは本当に愛し合うことができる。E.E.のある僕らだけが」
 チコが、ゆっくりと額を離す。同時に、大きな銃声が鼓膜を突いた。爆音が鳴り渡る。銃撃の現場は近い。耳鳴りは止まない。チコの僕を見上げる無表情。僕の目が廻る。深い海の真ん中、ぽっかり空いた空洞に永遠に落ちていくような酔い。チコは空虚な目で僕を見て言う。
「――愛だって?」
 その時、揺れる視界の中を、武装した部隊が小走りで駆けてゆく。PETだ。数人で死体を運び、てきぱきとトラックのような大型車に乗り込んでいく。チコは目を伏せ、僕の背後に隠れた。部隊の最後尾を走る男が、僕とチコに気づいてこちらにやってくる。チコが微かに震えるのがわかった。
「君、学生かな?」
 男は駆けながら言った。目の前で立ち止まると、僕の格好をなめ回すように観察してくる。
「その制服、すぐそこの高校のだよね。なんでこんな暗い路地裏なんかにいるの? 家はこの辺?」
「ええ、まあ。ちょっと寄り道してたら入り組んだところに入っちゃって。大通りまで出れば帰り道がわかると思うんですけど」
「あそう。大通りはそこ右に曲がってすぐのところだから。はは、浅瀬で溺れたねえ君」
「そうみたいです」
「……ん? 後ろの子は何? 彼女?」
「ええ、まあ。恋人です」
「へえ。仲がいいのはいいけどさ、あんまり寄り道しすぎないで帰りなさいよ。さっきも聞いたでしょ? 銃声。近隣住民に被害がないよう気をつけてはいるけどさあ、万が一って事もあるからね」
「はい。気をつけます」
 チコがあまりに緊張している様子が背中に伝わってくるので、僕はその場を立ち去ろうとする。でも、できない。男が僕の行く手を遮った。
「あ、ちょっと待って。E.E.導入証明書は持ってる? 一応見せてもらえないかな、そういう決まりなんだよね」
「ああ、はい」
 僕は立ち止まって鞄を開ける。中から証明書を出して、提示した。
「これでいいですか」
「ん? そっちの子は? 君のも見せてもらおうかな」
「あ、私、は……」
 チコはおびえて男と目を合わせようとしない。いったいどうしたんだ? PETのことが嫌いなのだとしても、この反応はあまりに過敏だ。
「どうしたの? 君、体調でも悪いのかな?」
 男がチコの顔をのぞき込む。
「あの、私、家に忘れて来ちゃって……」
「あらら。それは困ったなあ」
 言いながら男はチコの髪を掴んだ。鷲掴みにして持ち上げて、チコのあごが上がる。ぶちぶちと細い髪の切れる音が聞こえた。
「ひ、っあ……!」
 あまりに唐突だった。チコも僕も突然のことでうまく反応ができない。
「お嬢ちゃん、綺麗な髪だね」
 チコの顔は青ざめている。歯が鳴っている。男は空いているもう片方の手で、チコの髪の生え際を無神経にまさぐった。声にならない悲鳴を噛みしめ、痛みを堪えるチコ。
「でもさあ、頭皮も綺麗だったらちょっと困るんだよなあ。手術痕はどこだ? おい?」
 何が起こっているのか理解する間もなく状況が行われていく。僕は何を言うこともすることもできず、ただ立ち尽くしてそれを眺めていた。チコの悲痛な表情がただ僕の胸を締め付ける。そうだ――僕にはチコの痛みが分かる。僕だけが、チコを。
 ――助けなきゃ。
「あれ? ちょっとちょっと、おかしいなあ。手術痕が見当たらないんだけど……」
「あの、ちょっと。離してやってくれませんか」
「あ?」
「ほら、震えてるじゃないですか。……こいつ、生まれたときから病弱で。今の医療技術でもこいつにE.E.を導入するのはかなり危険が伴う手術だってのが最初からわかってたから、執刀はかなり腕利きの名医に依頼したらしいんですよ。そしたらなんと、手術痕も残らない名執刀だったってわけですよ。……で、いつまでそうやってるつもりですか。こいつ今体調悪いみたいなんで、もしこいつに何かあったらPETの責任問題になると思うんですけど」
「あ? ああ……」
 男はようやくチコの髪から手を離した。くしゃくしゃになったショートヘアもそのままに、チコは噎せた。
「あの、僕。卒業したらPETに入隊してもいいですか」
 まごつく男に追い打ちをかけるように、僕は唐突に切り出した。
「え? ああ、もちろん。PETは常に欠員があるからね。だが本気か?」
「はい」
 チコから注意を逸らすためだけの突発的な思いつきというわけではない。僕の決心は数日前から固まって揺るがない。
「この仕事、あまり人気はないみたいだけど……そうか、助かるなあ」
 男は頭を掻いてそう言った。再び気さくな大人を演じて、さっきの暴行をまるでなかったことみたいに振る舞う。
「PET入隊希望……に免じて、こいつのことは見逃してやってくれませんか。お願いします」
「……ああ、もう。わかったよ。いいから早く家まで送り届けてやれ」
「ありがとうございます」
 礼をすると、男は停まっているトラックのほうへと走っていく。途中ではたと思い出したように振り返って、大声を上げた。
「君、名前は?」
 それから僕も大声で返事をする。
「ナギ。マキ・ナギ」
「オーケー、ナギ。近々研修があるから、そこに来るといい。話は俺がつけておこう。俺の名はオキ、覚えておくように」
 男はトラックに乗り込み、ゆっくりと発進するそれに運ばれ、どこかへと向かっていった。トラックが見えなくなると、チコは力なくその場にへたり込んだ。チコの顔は依然青ざめたままだ。
「……こんなの、おかしいよ。世界は歪んでる。なにも、かも」
 僕はまだ散らばっているチコの髪を撫でて整えてやる。根元は赤く痛んでいる。それでも、傷はひとつもなかった。僕はチコをなだめるように言う。
「そうじゃない。歪んでるのが世界なんだ。これで正常なんだよ」
 するとチコは僕の手を強く払いのけた。僕を見上げてにらみつける。
「……わかったつもりになっているのは、ナギのほうじゃないの? わかったふりをして、ぬるくゆるく生きているのは」
「どういう意味だよ……?」
 チコは立ち上がると、一目散に駆けだした。僕の伸ばした手も届かず、その背中はあっという間に遠ざかって、やがて曲がり角に隠れて見えなくなった。
 僕がいったい何をわかったつもりになっているっていうんだ?



5.


 冬を待つ季節。肌寒くなり、重ね着する服が一枚増えた。季節を感じさせるのは寒さだけではない。3年A組のクラスメイトは進学組と就職組に分かれて話すようになった。進学組は受験を控えて焦りを禁じ得ない。廊下を歩きながら単語帳を開く人もいる。一方で就職組は大部分が余裕をもって生活している。彼らはもうすでに就職先が決まっている生徒たちで、無事に卒業さえできればそれでいいのだ。就職組でもまだ就職先が決まっていない人は悲惨で、卒業してしまえばもう学校側のサポートは受けられない。彼らが感じているプレッシャーは陰鬱な空気になって周囲に漂っている。
 イアは今やすっかり進学組の一員だ。教師になるべく、免許の取れる大学を目指して毎日勉強に励んでいる。チコは誰ともつるむことなく毎日を過ごしている。最近は話していないので詳しいことは聞いていないけれど、どうやらチコは就職組のようだ。そして僕は、PETへの入隊を控えていろいろと準備を進めている。そうやって、慌ただしく毎日が過ぎていく。落ち着く間もないけれど、紛う事なき日常だ。
 そして銃声。
 最近は迫害されたピーキーが宗教的見地の違いや現状の不満を抱えて世界中で武装蜂起するニュースをよく目にする。第三次世界大戦が終結して、国連が提唱した平和のための革新的な技術が導入されても、争いの種は消えない。むしろ新たな火種を作っただけだ。だけどそれも理想のための貴い犠牲に過ぎない。そして国営放送のニュースの合間には、いつものPETの隊員募集CMが流れる。銃撃戦と爆発と勝利と正義。それも日常。
 たくさん殺し、殺される人々。僕らの町でも大勢の人が殺された。だからといって怖くも悲しくもない。だから、現実感もない。それでいい、はず。僕は間違っているのだろうか。チコの言うとおり、何かをわかったつもりになっているだけなのだろうか。あるいは、何もわかっていないのだろうか?
 僕はただそれだけが知りたい。
 学校を通じて、PETから研修・訓練プログラムの通知が僕宛に届いた。そのことを放課後の教室で僕に伝えてから、ハサは困ったように呟いた。
「心配だわ……」
 僕は思い出していた。進路のことで呼び出されたあの日、僕がPET入隊を決めたことを伝えると、ハサは目を剥いて驚いた。
「本気なの?」
 答えるまでもなく僕の表情は本気だった。ハサはすぐに納得がいったように頷いて、あからさまに安堵のため息を漏らした。ハサは喜んでいたのだ。自分の生徒の進路に指針が立ったことを。自分の生徒がピーキーを排除する一員となることを。その時のハサの笑顔は印象的だった。それを見た僕は急に気分が悪くなって、その後は逃げるようにして学校を出たのだった。
「先生が心配することなんてありませんよ」
「冷たいこと言わないでよ。ただでさえ最近は物騒なんだから、マキくんもすぐに前線に引っ張り出されるかもしれないでしょう」
「平気ですよ。そのために入隊するんですから」
「といってもねえ。先生としてはやっぱり心配だわ……」
 ハサが心配しているのは結局、僕が誰かを殺すことではなく、僕が誰かに殺されることでしかないのだろう。自分の生徒だからというだけの理由の重みで、判定ははかりにかけられた僕の命のほうへ傾く。だけどこれがもしチコだったら――きっと僕が殺し殺されることの両方を拒むだろう。チコは死とか争いとか、そういう理不尽な悲しみすべてを拒絶する。気分を損ねてしまった赤ちゃんみたいに、それこそ理不尽なまでに、何もかも受け容れようとしなくなるだろう。それこそがチコの言う「わかったふりをしない」生き方なのだろうか?
 僕はチコとは違う。僕は何もわかっていないのかもしれない。だからこそ、知らなくちゃ。僕なりのやり方で。
「先生、僕は何か大事なものを見つけられるんでしょうか?」
「ええ、きっと」
 ハサは満足げに、そう言って頷いた。
 これからまた、新しい日々が生まれる。春はまだ遠い。
「人間の細胞は三ヶ月かけて入れ替わるという。三ヶ月。それはつまり、クズが使い物になるまでにかかる最短の期間というわけだ。だが諸君らに与えられた時間はたったの一ヶ月。この一ヶ月で、三ヶ月分の訓練を叩き込んでやる。いいか、よく聞け。この一ヶ月が過ぎたとき、三ヶ月分の変質を遂げた者だけにPETへの入隊を許可しよう。安心しろ、そのためにこちらが用意したプログラムは完璧だ。諸君らは言われたとおりにそれをこなすだけ。簡単だろう? ……なんてお堅いイメージを未だに抱いている者があるかもしれないが、そんなのは昔の話だ。どうかリラックスして聞いてくれ。一ヶ月という数字は単にそれだけの期間で済んでしまうからそう設定されているだけで、特別ハードなものではない。必要以上の肉体的トレーニングも時代錯誤な精神論もナンセンス。適度な運動に、最低限の知識、実践のためのシミュレーション、それだけで十分だ。ここでは諸君らにはPET隊員としての生活と自覚を持ってもらうための機会に過ぎない。この一ヶ月を何事もなく乗り切ってくれれば、もれなく諸君らを隊員として受け入れよう。ともあれ諸君らはこれから一ヶ月間、PET研修生となる。肩の力を抜きつつ気を引き締めて課題に取り組んで欲しい。健闘を祈る」
 拍手があがる。重い荷物を抱えた四十人程度の集団が整列し、僕もその中の一人だ。目の前には隊員が並んでいて、その中にオキと名乗っていた男の顔もあった。目が合って、互いに会釈を交わす。どうやら向こうも僕のことを覚えているらしい。しばらくすると、宿舎の部屋の合い鍵と鈍色のウエアが全員に支給された。乾いた土が風に舞い首筋を撫でる、町の外れの駐屯地。今日からここで、研修・訓練プログラムが始まる。
 一日目から筋肉痛になった。全身の筋肉が切り刻まれたみたいにどこも動かなくなって、僕はベッドから起き上がることもできなくなった。特殊速乾性繊維によるウエアも滝のように流れる汗を止めてはくれない。「適度な運動」でこれだから世話がない。これまでろくに運動なんてしてこなかったのだから当然と言えば当然だが。幸運にも二日目は座学だったのでなんとかやり過ごすことはできたが、オキの手を借りる必要があった。プログラム期間中オキは研修生担当になってしまったのだと面倒そうに話した。三日目にはまた回復した筋肉を痛めつけることになったが、一日目よりはいくらか訓練についていくことができた。僕は自分でも驚くほどしぶとく訓練に食らいついていく。走れと言われれば走り、跳べと言われれば跳ぶ。すぐにオキの助けを借りなくて済むようになった。座学は元々得意だったから、武器や様々な状況に応じた作戦行動に関する知識を吸い込んでいくことには特に不自由しなかった。
 朝六時起床、過密に詰め込まれた課題をこなして夜十時に消灯する。その間の自由時間は一時間も与えられていない。そんな生活にようやく慣れを感じ始めた七日目、射撃場へ連れられた研修生にライフルが渡された。生まれて初めて触れる武器。手に持つ重みに、ようやく僕は実感を得た。ここがいったいどういう場所なのかを思い出す。一方でまわりの研修生は沸いていた。E.E.にその感情が伝わってきて不快さが滲む。僕はライフルに意識を集中する。銃の扱いについての授業を思い出す。
「おいおい、落ち着け。このライフルは生きてるものの命を奪うためのものだ。弾を込めてトリガを引けば誰でも簡単に撃てる。簡単だからこそ注意が必要なんだ。万が一にも事故のないように、慎重に扱えよ。それじゃ、これから弾を配るから各自講習を思い出しながら装弾してみろ」
 僕は講習を完璧に暗記している。すべての手順を把握している。研修生の中にはもたつきながらオキの指導を受ける者もちらほらいるなかで、僕は自分でも驚くくらい手際よく装弾を済ませた。
「よし。各自位置につけ。撃っていいと言うまでトリガに指をかけるなよ」
 オキが言うと、研修生全員がそれぞれ射座へついた。僕は数十メートル先の正面に立てられた標的を見る。シルエットは人形だ。頭と心臓の位置を示す十字のマークがついていて、そのまわりが穴だらけにされている。
 僕はライフルのストックを右頬に、バットを右肩のくぼみにあてがい、しっくりくる位置を探す。左手で銃身を支える。片目を閉じて、照準を合わせた。頭か、心臓か。
「準備はいいな。それじゃあ安全装置を外せ。トリガに指をかけろ」
 オキは研修生の様子を見て回り、そして僕の後ろで立ち止まった。どうやら僕のことを心配しているらしい。オキはライフルを構えた僕の耳元で「どんなもんか、見ていてやるよ」と呟いた。それから再度、周囲の研修生を見渡して、声を上げた。
「撃て!」
 オキが言い終わるのと同時に僕の人差し指の先は完全に引きぬいていた。ずががががががんという爆音が一斉に鳴り響き、そしてそれ以上の強烈なリコイルが肩と顎を揺らす。想像以上に痛い。上半身が吹き飛ぶような思いがしたが、打ち抜いた後も銃身は固定されたまま動いていなかった。僕の目も、まだ標的を捉えている。
「すげえ……」
 背後でオキが声を漏らした。今の一撃は標的の頭部の中央に風穴を開けていた。硝煙がのぼる。そのまま続けて、今度は心臓に照準を合わせ、打ち抜く。ずがん。今度の銃声は一つだけ。標的の胸の部分が砕け散った。
「マキ・ナギ。誰が二発目を撃てと言った」
「……すみません」
 僕はそこでようやく構えを解いて、振り返ってオキを見た。オキは笑っていた。
「お前、いいセンスしてるかもな」
 オキの言葉はよく耳に入ってこなかった。あまりに耳鳴りが酷くて、それどころじゃなかったのだ。そう、ただ痛かっただけ。ライフルで人形の標的を撃ち抜いても、僕はそれ以外に何も感じていなかった。
 三ヶ月で人が変わるという話があったが、実際僕はその日からまるで別人のようにプログラムをこなすようになった。一番いい成績を収めていたのが射撃で、他の分野もそれに近しい評価を得るほどになっていた。他の研修生の誰ともつるまず、日々の訓練をただ、淡々とこなす。
 あるときオキが僕に尋ねたことがあった。
「マキ・ナギ、君がPET入隊を志望した理由はなんだ?」
「この世界の平凡がどれだけ歪んでいるのか、この目で確かめたかったんですよ」
 オキは僕の回答に対して不満を示すように、小さく肩をすくめた。
「俺には君の考えてることがよくわからんよ」
 僕は次第に周囲から白い目で見られ浮き始めているのを感じたが、特に気にすることはなかった。それに、この孤立が研修生全員に一目置かれていることの表れだということを僕は知っていた。
 僕はひたすら人形のシルエットを撃ち抜き続け、その回数も忘れてしまった頃にはプログラム最後の週になっていた。その日は朝から騒がしく、研修生たちは宿舎から出ないように命令を受け、各部屋の扉にもロックがかけられた。研修生担当であるはずのオキも出払っており、僕は誰かに事情を伺うこともできないまま、部屋で教本データを再生しながら過ごしていた。昼下がり、僕に通信が入った。信号はPET本部からのものだということを示している。表示された相手の名前はオキ。
「聞こえるか、ナギ」
「はい。聞こえています」
「隊のお偉いさんがお前を呼んでいる。まったく、俺もちょっとお前のことをべらべら喋りすぎちまったみたいだ。申し訳ないが、今すぐ出てこられるか」
 オキにしてはいつになく深刻な口調だった。何か僕にとって都合の悪いことが起こったのだろうか。それが朝からの騒ぎと何か関係があるのだとしたら、何だか大変なことに巻き込まれているのかもしれない。
「はあ、出られますけど」
「なあに、ナギに何か罰を与えようとか、そんなんじゃないよ。ナギにとって悪いようにはされないはずだ。ただ……いや、詳しいことはここでは話しにくい。とにかく今すぐ来てくれよな。場所についてはこれから座標を送る。部屋のロックは解除しておいたから、そのまま出られるはずだ」
「了承です」
 間髪を容れず座標データが届いた。地図で見ると、どうやら駐屯地の敷地内らしい。急いで僕が部屋を出ようとしたその時、またオキから通信が入った。
「っと。言い忘れてたことがある。ナギ、お前のお気に入りの恋人を一丁担いで来い。普段から扱い慣れてるもののほうがいいだろうからな。弾は予め込めておけよ。いいな」
 通信が切れる。嫌な予感がしながらも、僕は慣れた手つきでライフルに装弾した。深呼吸を一つ、そして部屋を出る。
 座標で示された位置にある建物には、それが何のための施設であるかという表示がどこにもなかった。外見は一辺十メートルほどの立方体が半分地面に埋まったような形で、全ての壁が白く塗装されている。裏手に隠れるようにして扉があるのを見つけ、僕はそれをノックした。少しして、扉が開く。同時に、その隙間から悲鳴にも似た罵倒が怒濤のように流れ出してきた。女性の声だ。どうやらこの建物は防音機能を完備しているらしい。扉を開いたのはオキのようで、その目だけが隙間からのぞいている。僕の姿を確認すると、オキは僕をその建物の中へと招き入れた。
「離して! お願い!」
 そこで見たものは、鎖に繋がれ叫び続ける見知らぬ女性の姿と、それを取り巻き薄ら笑いを浮かべるPET幹部の姿だった。一目見た瞬間から異様だった。女性はひたすら叫び、そのほとんどが言葉として認識できないくらいに興奮している。まるで獣だ。鎖に繋がれて壁に固定された手足をがちゃがちゃと鳴らし続けている。よく見ると皮膚はあちこち焦げ付いていて、指先には爪が一枚も残っていなかった。ゆるやかに傾斜した床に伝う血液が、部屋の隅の排水溝に向かって流れている。僕が入口で立ち尽くしていると、オキが手招きして部屋の隅へと僕を呼び寄せた。
「実は昨日、以前から秘密裏に調査を進めていたピーキーの反政府組織について重要な情報が手に入ったんだよ。その組織の名前は『スピークイージー』っていうんだが、その幹部がこの町に住んでいるってな。んで運良く捕まえることができた。その幹部候補ってのがあいつだ。実はさっきまで組織の構成員なんかについて質問してたんだよ。でも全然口を割らないわ自殺しようとするわで全然手に負えなくてさ」
 女が金切り声を上げる。高音が頭痛を誘う。こんなのをずっと聞いていたら頭が狂いそうだ。
「おい、早くこいつを黙らせろ」
「人生最後のオペラにしちゃひどい出来だな」
「自分のためのレクイエムってか。しょうがないから歌えるだけ歌わせてやれ」
 PET隊員の口から吐き出される下品な言葉を聞いているうちに、なんだか僕は疲れてきた。頭がくらくらして、うまく働かない。僕が女を見ると、目が合った。そうすると女は急に黙り込み、涙をこぼし始めた。その隙にオキが話を続ける。
「それでさ、もう自殺されるくらいならいっそのことその前に殺しちゃおうってことになったんだよ。んでちょうどお前の腕前と将来性が買われて、ここへ連れてこられたって訳だ」
 オキは僕の背中を叩いた。
「まあ、これも一つの経験だと思え」
 ぞく、と嫌悪感にも似た寒気が背筋を通り抜けた。これまでに感じたことのないくらいとてつもない感情が急に僕を襲って、いてもたってもいられない。なんだろう、これは。恐怖? そうか、これが恐怖っていうのか。初めて知ったよ……。僕はなぜかハサの顔を思い出さずにはいられない。「心配だわ……」って何がだよ? 不快さが吐き気になって喉の奥からせり上がる。膝ががくがくと震えて、立っているのにも一苦労する。E.E.の処理能力が追いついていないみたいだ。なかなか感情が落ち着かない。
 オキに促され、女を取り囲んでいたPET隊員たちが、部屋の端に寄って僕の前に道をあけた。弾丸が通るための道だ。女はまっすぐ僕を見ている。
「私にはあなたくらいの娘がいるの! ……まだ子どもなのよ」
「殺される寸前になるとピーキーはみんな似たようなことを言いやがるな。……おいお前、ぼけっと立ってないで、さっさと銃を構えろ」
 PET隊員の一人が言う。僕は力の抜けた腕をむりやり持ち上げて、言われたとおり、手に持っていたライフルを構えた。視界が――焦点が合わない。早く、照準を合わせないと……。
「あなたたちはどうして分からないの? どうして、分かろうとする努力をしないの……?」
 震えた。僕はそれと似たようなことを誰かから言われたことがあるような気がしたのだ。でもそれが誰だったか、今はよく思い出せない。思考の機能がゆるやかに止んでいく。
「……黙れ」
 僕は呟いていた。女の言葉を聞かなかったことにしたくて。もう何も考えたくなくて。恐怖を打ち消したくて。だけど呟きは何の意味さえ持たない。どうにかするためにはどうすればいい? 答えは明白だ。
 僕はゆっくりと片目を閉じた。焦点が合った。視界が正常に戻る。女の頭、首、胸をなぞるように銃口をすべらせる。女の首に金色のペンダントがあった。見覚えがある気がしたけれど、そんなことは忘れてしまった。
 すでに照準は合っている。指先はトリガにかけられた。恐怖は極限に達していた。
「私は死んでもあなたたちのことを恨み続ける。私だけじゃない、まだまだ私たちには同志がいるわ。私たちは絶対に諦めない! わかりあえ――」
 トリガを引いた。
 なぜ人は人を殺すのだろう。
 人が誰かを殺さないのは、「自分が殺されたくない」ことによって他人の痛みを知っているからなのだろうか? 僕は死ぬのが怖いから、きっとあの子も死ぬのは怖いのだろう、というふうに想像するのかもしれない。だけど、その「誰か」がもし「理解不能な他人」だったとしたら、その理由は意味を成さなくなる。想像は理解の壁を越えることができず、人は人を殺せてしまうんだ。
 ずがん。脳漿とも血液ともつかない飛沫が四散する。砕けた頭蓋が宙に舞い、女は鎖に繋がれたままがくがくと踊った。引き攣るような声を一瞬だけ上げたかと思えば、そのまますぐに呼吸を止めた。たったの一発。小さな鉛の塊が身体を突き抜けただけで人は死ぬ。内臓はぐちゃぐちゃになって、血液はあふれ出し、すべての機能がやがて停止する。なんて脆くてあっけない。舞った骨がオキの耳元をかすめて壁に跳ね返って落下した。大量の血液が流れて落ちては排水溝へ吸い込まれていく。女の身体はまだ細かく痙攣している。
 僕は念のためそれから二度、弾丸を撃ち込んだ。これで完全におしまい。なんだ、簡単じゃないか。僕はさっきまで抱えていた恐怖が嘘みたいに溶けてゆくのを感じた。
 E.E.のおかげで僕でも楽に人を殺せて助かる。



6.


 研修・訓練プログラムが終了した。無事学校を卒業することができたら、春からは僕もPET隊員となる。最終日は午前中に春からの手続きについての説明があり、午後からは各自荷物をまとめてすみやかに部屋を引き払うようにと最後の指示があった。
 その日は朝からずっと雨が降っていた。空はどんよりと濁り、空気が重い。僕が荷物をまとめていると、誰かが部屋をノックした。
「鍵は開いてますよ」
 この駐屯地で僕に会いに来る人物なんて一人以外に考えられない。オキだ。
「よう」
 オキが扉を開けた。部屋に上がり込んで、マットレスだけになったベッドに腰掛ける。僕はオキの顔を見向きもしないで、スーツケースに荷物を詰め込んでいく。
「たいした用じゃないんだ。ただちょっと挨拶に来ようと思ってな。……手伝おうか?」
「大丈夫ですよ、もうすぐ片付くんで」
「その壁に立てかけてあるライフルはなんだ? まだ本部に返却していなかったのか」
「ええ。帰り際に返却しようと思ってて」
「それならいいんだが。俺が持っていこうか?」
「いえ、自分でできますから」
「……そうか」
 オキは立ち上がった。それから窓際まで歩いて、グラウンドに雨が叩きつけられているさまを眺め始めた。
「マキ・ナギ。春からは君も俺と同じPETのいち隊員だな。それにしても君がこんなに優秀だとは思わなかったよ」
「初めて会ったときの印象は無能だった、という意味ですか?」
「ははっ。君もなかなか言うようになったな。しかし、いや……確かにそうかもしれない。はっきり言って俺には君が何かに長けた人間には見えなかったんだ。良くも悪くも平凡ってとこだな」
「僕は間違いなく平凡な人間ですよ、良くも悪くも」
 するとオキは僕を見て言う。
「ふむ……そうかもしれんな。でも成績が優秀なのは確かだ。誇っていい」
「ありがとうございます」
「しかし君みたいな優秀な隊員が入るとなると俺の立場がないな。笑えん」
「僕も気まずいですよ」
「まったく、よく言うぜ」
 オキが僕の頭を小突いた。その時だ。オキの通信デバイスに着信があったらしい。誰かと話すオキの声が雨音に包まれて部屋に響いた。
 オキが真面目なトーンで話すのを聞くのは、約一週間ぶりのことだった。生まれて初めて人間を、ピーキーの女を、殺した日のことを思い出す。記憶はまだ鮮明に残っていて、あの時起こったすべてのことをありありと思い出すことができる。恐怖と身体の震えと血液の排水溝に流れてゆくさまとを。オキの通信はやけに長く続いた。十五分ほど過ぎただろうか。オキはため息をついた。通信がようやく終わったらしい。額に汗を浮かべて、僕に告げた。それは僕にとって最悪の事実だった。
「テロルが起こった。この町で」
 僕は気がつくと駐屯地を飛び出して雨の中を走っていた。迷彩色の戦闘服が完全防水であるにも関わらず、僕はすっかり冷え切っている。僕の身体も、感情も。一歩前へ踏み出すたびに、脇に抱えたライフルがかちゃかちゃと音を立てて揺れる。既に装弾は済ませている。
 急がなければならない。僕は学校へと向かっていた。
「ナギ、君の通っていた高校が襲撃された。ピーキーによる反政府組織、この間も話しただろう? 『スピークイージー』が動き出したんだ」
 オキは言った。僕はさっきオキが僕に話した内容を、頭の中で反芻していく。
「PETが調べたところによると、スピークイージーの作戦はこんなふうに遂行されたらしい。いくつかのチームに分かれたスピークイージーは、まず女性教員を人質にとった。そして男性教員を縄で縛ってから、ネットワーク設備を破壊。平行して別のチームが全学年の計九教室を同時に襲撃。そうやって学校内にいた全ての人間を人質に取ることにスピークイージーは成功したらしい。まったく、離れ業にも程がある。つい先週の一件の腹いせにしちゃあ出来すぎだろうよ。話してる俺だって今聞いたばかりでうまく飲み込めねえ。奴ら、国にE.E.の制度撤廃を申し立てているみたいだが、奴らに対して国が取引なんてする訳がねえ。ただ制圧するだけだ。もう既に対策部隊が組織されて、作戦行動に移り始めているところだろう。前線には出ないにしても、俺もそろそろ本部に向かわなきゃいけない。――ただ、気になることが一つあるんだよ。ネットワークが遮断される直前にハッキングして教室の入退室ログを洗ったところ、『3年A組』にだけは、その前後の入退室は確認されなかったって言うんだ。まさかその教室だけは襲われなかったとか。そんなことってありえると思うか?」
 いったい、どういうことなんだろう? たった一つ教室だけが襲われなかったなんて。しかも、それは僕がいた『3年A組』だと言う。そもそもどうして学校を襲う必要がある? いったい、何が起きているんだ?
 僕はチコのことを思い出す。本を借りて読んだこと。買い物に行ったこと。すれ違ってしまったこと。あのしかめ面をもう一度見たいと思う。
 どうか、無事でいてくれ。チコ。
 避難勧告のサイレンが近隣住民の危機感を煽り、住民は避難を始めていた。僕と逆方向へと進む人たちを尻目に、僕はひたすら走った。学校に着くまでそれほど時間はかからなかった。PETの対策部隊というやつもまだ来ていないみたいだ。外から見える全ての部屋の明かりが消えていて、カーテンがかけられている。きっと外から中の様子を窺えないようにするためだろう。僕は3年A組の教室を探すが、そこもカーテンに隠れて見えない。正門には見張りの人物が立っているだろうと想像できたので、僕は裏手に回った。しかしあいにくそこにも見張りはいた。隙がない。仕方がないので僕は戦闘服の光学迷彩機能を有効化した。雨のなかでは光学迷彩の効果も半減してしまうが、それでもないよりはマシだろう。もしかするとスピークイージーは雨が降る今日をあえて選んで作戦を決行したのかもしれなかった。
 ここを通過できるかどうかは五分五分ってところだろう。僕は今更ながら一人でここへ来たことに後悔を感じた。すべてPETに任せた方が、すべてがうまくいくんじゃないかっていう思いが、僕の頭のなかで膨らんでいく。でも、ダメなんだ、それじゃ。PETを信用してはいけない。だから、これでいい。直感的に僕は自分のこの判断が正しいと知っている。僕がやらなくちゃ。
 そのときE.E.に感じたのはいたずらに強い感情で、僕はそれを知っている。恐怖。ひょっとすると、近隣住民が遠くへ離れていったことで、僕のE.E.は今、学校の中に閉じ込められている人たちだけとリンクしているのかもしれない。
 とにかく、まずは学校の中に入らないと始まらない。僕は深呼吸をして、近くに停まっていた車の水素タンクに時限式の小型発火装置を設置した。すぐにその場を離れて待機。四秒前。三、二……。タンクが熱により破裂し、車の後方から火炎放射器のように炎が吹き出した。爆発音に、見張りの注意が向いた。
 今だ。
 僕はフェンスに飛びつき、よじ登る。水素タンクはその性質上、一瞬で燃え尽きてしまう。その間にここを越えなければならない。後ろを見ると、見張りは車のほうへ様子を見に行っていた。よし、いける。僕はフェンスの内側に降り立ち、そしてトイレの窓から校舎の中へ、すみやかに侵入することに成功した。
 廊下に人の気配はなく、それなのに断続的な悲鳴が聞こえてきている。僕は足音と呼吸音を殺しながら、慎重に歩を進めた。僕は3年A組をめざしてそのまま三階へと階段を上った。
 あまりに強い恐怖に、頭が痛む。階段を一つ、また一つと上がるたびに、強い恐怖に足がすくむ。まるでこれは――そうだ。これは僕がピーキーの女を殺したときに感じていたのとそっくりの感情だ。自分の中の何かが侵されて脅かされていくような、そんな感覚。三階に着く。歯が鳴りそうだ。
 また悲鳴。一番近くのC組の教室から、それは聞こえてきた。震えをこらえながら、僕はそっと、その中をのぞいた。
 まるで、まな板の上のような光景。切り刻まれた肉が床いっぱいに転がり、血液に浸されている。生きているのはほんの数人だけだ。手足を縛られた男女の生徒が少しと、それと大きなサバイバルナイフを持った男が一人。男はちょうど今、女生徒の胸にそれを突き刺していた。ゆっくりと捩るようにナイフを引き抜き、肉をえぐる。削がれた肉が机の上に跳ねて落ち、一瞬後に少女の身体も力なく床に崩れ落ちた。
 鮮やかすぎる赤に目が眩む。僕は目を伏せ、そしてその場にしゃがみ込んだ。呼吸が荒くなっている。落ち着け、落ち着け……。僕はゆっくりとそこから移動して、その隣のB組の教室の中も覗いて見るが、同じことだった。僕はここから生き残っている人たち全員を救えるだろうか? そんなことは考えるまでもなく不可能だ。一つ掬えば一つこぼれてしまうに違いない。僕一人が出来ることはとても小さい。いったいなんだってこんなことになっている? ……そうだ、そういえば、スピークイージーは人質をとるために学校を襲ったんじゃなかったのか? E.E.制度撤廃の主張なんてものはただの建前で、実際は日頃の鬱憤や幹部が殺されたことに対するただの腹いせだったりするのだろうか? いや、違う、そうじゃない。たぶん殺してしまうことの方が人質を取るよりもはるかに簡単なことだからだ。そんなことが本当に現実に起こっているっていうのか? ……わからない。
 仮にもしそうだったとしても、生きた人質が必ずどこかにいるはずだと僕は思う。僕が救いたい命がまだ存在している可能性は、ゼロじゃない。……そうだよ。恐怖の感情に溺れるな、呑まれるな。しっかりしろ、ナギ。希望はまだ、残されているはずなんだ。
 僕はA組の前にたどり着いた。僕がいつも通っていた教室。毎朝チコと二人きりで話していた、陽だまりのような場所。蘇る記憶はどれも穏やかで愛おしい。この場所が赤く染まっているところを僕は想像することができない。今日だって本当はまだ授業の真っ最中で、そうだ、今日の時間割だと確かこの時間は現代社会の授業だから、教壇にはハサが立っていて、イアが積極的に手を上げて、チコがぼんやり外を見ていて――そんな時間が流れていたはずなんだ。いや、今だって本当はそうなんじゃないかって気持ちすらある。偶然A組だけがスピークイージーに忘れられて、教室の誰も学校が襲われていることに気づかないまま穏やかに授業が進んでいるかもしれない。そんな滑稽な可能性が頭からどうしても離れない。思い出の中だけでも僕はこの教室を守りたい。そんな気持ちが邪魔をして、僕は教室の中を覗くことができない。でも本当は違うってわかってる。そんなふうに都合のいい状況であるはずがないってことくらい。A組の教室は、あまりにも静かすぎたから。
 僕は覚悟を決めた。
 息が止まる。覗いた教室の光景は、他の教室のどれよりも、僕の心を引き裂いた。でも、ここに来る前からなんとなくそんな気はしていたのだ。僕がわかっていないふりをしていただけで。教室の誰も死んではいなかった。生徒は椅子に座って前を向いていた。ただ二人、チコとイアを除いて。チコが教壇に立っている。その身の丈に似合わぬ大きさのサバイバルナイフを手に、それをイアの細い首筋に突きつけていた。教室の中でチコだけが普段と同じ表情だった。チコはスピークイージーの一員だった。つまり、チコはピーキーだったのだ……。
 そうか。そして人質というのはたった一人、イアのことだったのだ。両親が国連に顔の利く職員であるイアの命をうまく使えば、国に対する交渉の材料にもなり得る。スピークイージーはそんなイアに目をつけ、そのためにこの学校を襲ったのだ。
 そして、その重要な役割を担うことになったのが――チコ。クラスメイトであるチコならばイアを襲うこともたやすい。チコは作戦開始と同時にイアにナイフを突きつけて、そして簡単に人質を手に入れたというわけだ。それが「3年A組」にだけ外部からの侵入の記録がなかった理由。
 でも僕はほんの少し、安心してもいたのだ。スピークイージーの他のメンバーとは違って、チコだけは、一人も人を殺してはいなかった。
 僕は光学迷彩機能を無効化し、教室の扉を開けた。ライフルをチコに向ける。
「ナギ!? どうして……?」
「本当はチコを助けに来たんだけど、全然見当違いだったみたいだ」
 ナイフを突きつけられたイアは失禁して床を濡らしていた。それに震えて声も出ないらしい。声が出せないのは他のクラスメイトも同じようで、ハサですら空いた椅子に座らされて一言も口を挟むことができずにいる。チコが僕を睨む。
「ナギ、いま学校を占拠しているのは私たちなんだよ。こんなところにいたら、君だって殺される」
「僕は死なない。もうすぐPETの対策部隊がやってくるはずだ。今ならまだ間に合うかもしれない。だからイアを離せ」
「間に合うって、何が? 私たちは未導入者なんだよ。生かしておかれるはずがない。……それに、ナギには関係ないでしょ」
「関係ならある。僕はチコの恋人だから」
「は、馬鹿らしい。ナギは自分がただ恋人を演じて満足したがってるだけだよ。買い物に行った時だってそう。奢れば恋人? 額を合わせれば恋人? ナギは恋人という形に私たちをむりやりはめ込んでいるだけで、本当に人を愛することを知っている訳じゃない」
「そんなことない。僕はチコのことが本当に好きだ。だから一人でここへ来たんだ」
「だから、それが演じてるってことだって気づかないの? 君は本当に私のことが好きだからここへ来たの? それとも、『恋人』だからここへ来たの?」
「……どうしてそんなことを言うんだよ。僕はただ――」
「前に言ってたよね。ピーキーは人の気持ちを分かったつもりになっているだけで、本当に理解し合うためにはE.E.が必要だって。だったらナギにとっては今までの私との恋愛だって全部嘘ってことになるんじゃないの?」
「それは……でも。少なくとも、僕がチコのことを好きだったのは本当のことだ」
「あー、くだらない。ピーキーとは分かり合えないんでしょ? だったらこうやって話してても無駄。意味ないよね」
「そんなことは……」
「それに君の感情なんて、所詮は混ざりもののまがいものだ。たとえ分かり合えたとしてもその感情が偽物なら、そのことに何の価値があるの?」
「……僕の感情は偽物なんかじゃないよ」
「だったら、どうして。どうしてナギはそんなに平然と私の前に出てくることができたの?」
 チコの言葉に力がこもる。それだけで呪いのような重苦しさが教室に満ちた。
「……どういう意味だよ」
「君が研修中に撃ち殺した女が、私のお母さんだったんだよ。君は知らなかっただろうね。でも、だからといって君の行為は許されるわけじゃない」
「嘘、だろ……」
 鈍痛のような衝撃が全身に響いた。吐きそうな気分。……そうだ、でも、知らなかったわけじゃない。本当はそうかもしれないと気づいていたのだ。あの金色のチェーンに淡い桃色の石のついたペンダント。僕には見覚えがあった。チコが母親のためと言って選んだあのペンダントを、僕が殺した女が首にさげていた。僕は気づいていたのに、忘れたふりをしたのだ。女の言葉を聞かなかったことにしたくて。もう何も考えたくなくて。恐怖を打ち消したくて。そして殺した。
「君の感情は混ざりものの偽物なんだよ。だから人を簡単に殺せる。……ねえ、知ってる? 心と肉体とのあいだには魂があって、人として間違ったことをすると、その魂が損なわれていくんだ。たぶん人を殺しちゃいけないのってそういうことなんだよ。君たちはチップが埋め込まれたかわりに魂が失われてしまっているんじゃないかな」
 認めたくなかった。
「……でも、チコだって今そうやってイアにナイフを突きつけてるじゃないか。……なんでイアなんだよ。友達だと、思ってたのに。どうしてそんな真似ができるんだよ。親が国連の職員だから、国への交渉材料になるからか」
「だいたい正解。私だって本当はこんなことしたくなかったんだよ。でも仕方ないもん、分かり合えないんだから」
「いつからそんなこと考えてたんだよ。まさか最初からそんなつもりで、僕たちと付き合ってたっていうのか」
「それは違う。最初は本当に、偶然で……本当に仲のいい友達と、恋人だと思ってたんだよ」
「だったら、なんで!」
 チコは遠い目をした。記憶を手繰って、今はもう取り戻すことのできない日々を想っているのだろう。
「きっかけは、あの小説」
「……小説」
 覚えている。表紙のない、タイトルのわからない小説だ。今でもあの本のかび臭さを思い出すことができる。
「ナギにも貸したよね。サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』。私はあれを使って、試すことにしたんだよ。ナギの言葉で言うところの『世界の違和感』に気付いてくれるかどうか、いびつな世界に抗うことができる人間かどうかを。……結果、ナギは違和感に気付いてくれた。この人となら私は一緒に生きていけるかもしれないと、その時はそう思ってた。……だけど、イアは違った。イアはそもそも、理解するための努力すらしなかった。いびつな世界に迎合していた。その時私は、イアと友達でいることを諦めた。イアの命を、スピークイージーから守ることをやめた」
「そんな……それだけで……」
 チコは笑う。諦めたように。
「だけどそんなナギも、結局は……私のお母さんを殺した。世界のいびつを受け容れた。……ねえ、ナギ。私があの時、世界への違和感を忘れないでって言ったの、覚えてる?」
「ああ、覚えてる」
「だったら、どうして……そんなことになっちゃったのかな」
「どうしてだろう。実を言うと僕もよくわからないんだ。ひょっとすると慣れてしまったのかもしれない」
「そんな……」
「たまに頭が痛くなるんだ。いや、たぶんただの頭痛なんだけど。そういうとき、たまに意識するんだ、見たこともない頭の中のチップを。科学的にもチップによって頭痛が起こることはまずないってことは証明されてるし、疑ってるわけじゃない。それでも、頭の内側の芯みたいなところが、なんだかむず痒くなる。僕が抱いている世界への違和感ってそんなもんなんだ。気持ち悪いけど、我慢できないってほどじゃない」
「やっぱり、結局ナギはそうやって、わかったふりをして生きていくことにしたんだね」
「ああ。仕方ないんだよ、そういう世界だ」
 学校の外からはヘリの音が聞こえてきた。最初は小さかったそれが次第に大きくなり、すぐそばで鳴っている。どうやらPETの対策部隊が来たらしい。
「……私たち、殺されちゃうのかな」
「たぶん。ピーキーは全員、PETに排除されることになる」
「前からずっと思ってたけど。ナギ、ピーキーって言葉を使わないでくれないかな?」
「どうして? 差別的な響きが感じられるからとか、そういうこと?」
「そうじゃない。E.E.導入者のほとんどが私たちをピーキーって勝手に呼んでひとまとまりにして、全然ひとりひとりの人間と対話する気がない。そんなことしてたら一生、分かり合えるものも分かり合えないと思うから」
「確かに、そうかもしれないな。……でも対話しようとしないのはチコだって同じだろ。理解されず拒絶されて、だから自分も拒絶するのか? 勝手に相手を『理解不能な他人』にしてしまってないか?」
「……ナギ、今すっごく残酷なこと言ってるってわかってる?」
「ああ。よくわかってる」
「ひどいや」
 チコはとても悔しそうに、くしゃくしゃな笑顔を僕に向けた。びっくりするくらい不細工で、泣きたくなるくらいに美しい表情。チコの笑った顔を見るのはすごく久しぶりな気がして、だけど昔のことはもうよく思い出せない。僕はその笑顔を決して忘れないようにしなければならないと思った。苦しいほど愛しい。
 僕はチコに向けたライフルを下ろした。
「……チコ。イアを離すんだ」
 チコは静かに頷いた。ナイフを持つ手がだらりと落ち、そしてイアは解放された。長い間身動きがとれずにいたせいだろう、チコから逃げたイアはふらついて机にぶつかりながらも、椅子に座らされていたハサのところへと駆け寄った。ハサがイアを抱き留める。
「さて。それじゃあ、決めようか」
 チコがポケットの中からセミオートの拳銃を取りだす。初めてには見えない慣れた手つきでジャカッとスライドを引き安全装置を外すと、銃口を僕に向けた。
「どちらが殺し、殺されるのか」
 僕は頷く。
「これが夢だったら、どれだけ良かっただろう」
 そう言って、僕はもう一度ライフルを構えた。照準を合わせる。
「本当にね」
 チコは笑った。僕らは同時にトリガに指をかけた。これを引けば終わるんだ。何もかも。今更になって僕は生きていたいと思った。チコと一緒に。だけどもう遅いんだ。緊張の糸が極限まで引っぱられていた。指の先に力がこもる。
 その時、僕に通信があった。PETからだ。
「死ね、クソ野郎!」
 叫び声を上げたのはたぶんイアで、だけどそんなことを確かめている間もなく僕はライフルを捨てて走り出していた。机が邪魔でまっすぐ走れない。僕はそれらにぶつかりながらもチコのところへと走り続けて、外から聞こえるヘリの音はさらに大きくなっているのがわかる。間に合うか――。チコは戸惑いながらただ僕を見て銃を構えたまま動けずにいる。最後に僕は思い切り力を込めて、邪魔な机を蹴り飛ばす。そのまま勢いでチコを抱き留めて、それから弾丸が僕の背中を串刺しにした。
 窓は砕け散り、壁や天井も蜂の巣になった。ガトリング砲による容赦のない連射が僕を打ち抜いてぼろぼろにする。鼓膜を破るような気さえする爆音の連続。内臓が粉々になって逆流して口からあふれ出してきた。僕は弾丸が僕を貫通してチコを傷つけやしないか、それが心配だった。
 PETから入った通信は僕に「伏せろ」とだけ伝えていた。きっとPETの対策部隊はずっと僕らの様子を見ていて、救出対称であるイアが標的であるチコから離れてくれるのを待っていたのだ。だけど、それでどうして僕はこんな行動にとってしまったのか、自分でもよくわからない。
 あんまりに痛いので僕はチコの手から拳銃を奪い取って、未だに撃ち続けるのをやめないヘリに向かって一発くれてやろうかと思ったが、やめた。僕にはそんな真似はできそうにない。もう身体はろくに動きそうにないし、それ以上に僕はこの状況を受け容れなければならないような気がしたのだ。
 壁と天井が砕けて落ちる。まったく、馬鹿みたいな威力だ。教室に空いた穴からは雨が吹き込んで、僕の身体を濡らす。僕の血が洗われる。見るとチコも血まみれで、だけどそれが僕の血なのかチコの血なのかよくわからなかった。
「嘘……」
 チコは何が起こったのかよくわかっていないみたいだった。僕だってどうして自分がこんなことをしているのか理解できていないのだから、それも当然のことだろう。
「まさか、こんなことって……! 本当に分かり合うために歩み寄ろうとしなかったのは、むしろ私たちのほうだったんだ……!」
 チコの言葉がよく理解できないことに気がついた。ただなんとなくわかるのは、チコがひどく泣いているということだけ。頭がなんだかぼんやりしている。意識が遠のきそうになったその時、僕の額に何かが触れる感覚があった。目の前にはチコの顔。
 ――共振《レゾナンス》。
 そのとき僕の心の中で、今まで感じたことのないような温かいものが芽生えた。強くてまっすぐでやさしい感情。これはいったい何だろう? 僕が今まで知らなかったもの。わかったつもりになっていたもの。
 ああ、なるほど。ようやくわかったよ。分かり合えなくとも、歩み寄ろうと努力すること――それってつまり、こういうことだったんだ。
「……そうか。これが、愛」
 まったく、なんて今更。
 チコの言ったとおりだ。今の今まで、僕はわかったふりをしていた。
 世界中を巻き込んだ戦争が終わっても、世界にはまだ何十億も人がいて、それはE.E.導入者だったり非導入者だったり黒人だったり白人だったりいろいろだ。それが今もずっと小競り合いを続けていて、たくさん人が死んでいる。たくさんといっても死ぬのは常に弱い方だけで、大きな勢力は資金も武器も頭数も桁外れで強い。きっと負けることはないだろう。いずれ世界はこの「流れ」に駆逐されて、いずれ一つになるのだろう。導入者だけの世界になれば、ひょっとすると全ての争いはなくなるのかもしれない。真の平和が手に入るのかもしれない。だけど、そのために何か大事なことを犠牲にしてしまっている気がするんだ。歪んだ世界が正常だなんて知ったようなことを言ったけれど、本当はそんなこともないのかもしれない。とはいえ僕はこの世界に従うしかないのだとも思うんだ。こればっかりはどうしようもないことなんだ。
 いつまで経っても弾丸は僕の身体を吹き飛ばし続けていた。まだまだこの永遠にも思える時間は終わりそうにない。
 チコ。そろそろ僕は君を守ってやれなくなりそうだ。それだけが本当に心残りだよ。ごめん。
 僕はやがて完全な闇を知った。瞼を閉じたのか、感覚が死んでしまったのか、あるいはその両方か――自分でもわからない。世界から少しずつ切り離されていくような、とにかく孤独な気分だ。それから少し遅れて、静寂がやってくる。波がさっと遠ざかってゆくように。
 そのとき僕は、銃声が、ほんの一瞬のあいだ、世界から消えたような気がしたのだ。でも、きっと気のせいだろう。
 無慈悲でいびつで、いとおしい。“そういう世界”なんだ、ここは。





謝辞とあとがき


 「みんないびつな平凡。」を最後までお読みいただきありがとうございます!
 いつも読んでくださる方ですか? それとも初めましての方ですか? どちらにしても心から嬉しいです!
 もしよろしければ感想をください、おねがいします……。ブログのコメント欄にでもTwitterにでも。飴でも鞭でも構いません。それがとっても次へのモチベーションになります。読んだよ!の報告だけでも感激しちゃいます……。
 SNSでも拡散していただけると非情に助かります。できるだけたくさんの人に読んでもらいたいので。

 挨拶はこのくらいにして、あとがきみたいなものを書きます。こういうのを書くのは初めてです。小説にあとがきは蛇足だ主義ですが、あったらあったで楽しめる派です。完全に気まぐれです。ここに書かないと絶対誰にも気づいてくれないだろうなってこととか、そうでもないあれこれを書いてみようと思っています。すなわち雑記です。ちなみにあとがきと言いながらも本編と平行してその時その時に思いついたことを書いています。ご了承ください。それでは以下、蛇足。

 プロットの話。こんなSFにしては構築が甘くて突飛さにも欠けるうえにいつもと同じようなデッドエンドで恐縮なのですが、いちおうプロット構成期間は一ヶ月くらいかけました。最終的には七千字くらいになっていました。本当はもうちょっと練りたかったんですが、書きたい気持ちがはやって、あやふやなプロットのまま書いてしまいました(僕はけっこうかっちりプロット書かないと書けないタイプです)。「感情平均化」の設定についてはたぶん一年くらい前に思いついて残してたメモが初出です。大した設定じゃないけど多少はそれを活かして書けたかなーとは思ってます。展開がころころ変わっていろんな顔がある、今僕がやりたいことをひたすら詰め込んだ感じの楽しい小説になったんじゃないかと思います。手前味噌! ちなみに執筆期間は3月17日から初めて24日に完成したので、一週間でした。

 登場人物の名前について。これは最初に「SFを書くぞ!」と決めたときに普通とはちょっと違う名前にしたかったので、とりあえず「二文字縛り」にするというのは決めていました。いつもと違うテイストにしたかったので、そうやって雰囲気を作ることでいつもと違う書き方ができるかな、という淡い期待がありました。主人公のナギの由来は「凪ぎ」で、大きな感情の起伏のない世界を象徴しています。そういえば「感情の起伏が薄い」設定をちゃんと描写に落とし込めていないところは今回の一番の反省点です。でもそれってむちゃくちゃ難しい。他の人物の名前はすべて語感で決めました。ちなみにオキというキャラクターはプロット段階では名前が与えられておらず、それどころか「チコに暴行するシーン」以外には登場しない予定でした。しかし物語の進行上、オキはナギに名前を尋ねる必要があったので、となるとオキもナギに名乗るのが自然です。慌てて僕はそのPET隊員の名前を考え、オキと名付けました。その後ナギがPETの研修プログラムに参加するようになると、そこでもオキが登場するのが自然のような気がしたのです。なにせ名前をつけてしまったキャラクターなのですから、何度か登場させないともったいないというか、ちょっとしたことですが読者を裏切ることになるような気がしたのです。「物語に銃が登場したならば、それは発射されねばならない」という作劇上のセオリーがありますが、それと似たようなものかもしれません。そういうわけで後半にはけっこう登場する主要人物となっていたのでした。実際、オキの存在によってかなり物語が動かしやすくなったので、プロットに囚われない機転って大事だなあということを実感した次第です。

 SFの話。SFって全然今までに読んだことないです。最近の人だと伊藤計劃くらい。あとは「アンドロイドは電気羊~」、「星を継ぐ者」は読みました。星新一とか眉村卓とか筒井康隆は昔ちょっとだけ読んでたかな。いずれも良い作品です。まあそんなに読んでいるほうではないし、SFというジャンルに思い入れもそんなに強くはないので、最初からソフトSFにしようというのは決めていました。へっぴり腰ですみません。そういえばタイトルもあんまりSFっぽくないでしょ? これも敢えてそうしたんです。

 日常シーンについて。物語冒頭の買い物シーンとか本当はもうちょっと純粋に楽しい感じで書きたかったんですけどうまくは書けませんでした。それも反省点ですね。日常シーンは人物の「習慣」を描け、ととある方から助言をいただいたのですが、難しいです。考えれば考えるほど習慣ってなんだ!?ってなってきました。日常シーンをうまく描けるようになったらだいぶ強みになりますね……。

 影響を受けた作品について。作中で登場しているサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」は中身としてはそんなに関係ないんですが(本当は結末に「ライ麦」の中身を絡める案もあったのですが、どうしても繋がりが悪くなってしまうので諦めました)、ちょうどプロットを練っている時に読んでいたので「これを物語のひとつの鍵にしよう!」と思い立ってむりやりねじ込みました。あとはカズオ・イシグロの「わたしを離さないで」ですね。これもプロット書いてる時期に読んだ小説でSF。この物語が「世界設定を明かさないまま進む」という構造になっていてその点でかなり影響を受けています。でも効果的な演出になっているかどうかは正直謎……。というか「みんないびつな平凡。」ではけっこう冒頭で「感情が平均化された世界」って設定は明かされちゃうし、チコが実は……って設定も勘のいい読者様には序盤ですぐ察しがついているでしょうしね。舞城王太郎の「スクールアタック・シンドローム」も同じ時期読んでむちゃくちゃ面白かったんですが、舞城作品にはいつも影響を受けまくってしかもそれが悪影響でしかないので、今回はできるだけ影響を避けて文体を保持するよう心がけました。でもオノマトペとかちょっと舞城っぽいかも。まあ、それくらいなら、ね? 後半のPETでの研修シーンは桜坂洋の「All You Need Is Kill」をちょっとだけ参考にしました。でも銃のこととかホントに何も知らないので大部分はネットでいちいち調べて書きました。この部分についてはなかなか執筆が進みませんでしたね……。ガンマニアの読者様がいらっしゃったら「ここはおかしいぜ!」とか「ここの描写が甘い!」とか「こうしたほうがいいぜ!」とかいう意見でもなんでもくださると次に活かせます。活かします! たぶん……。

 そういえば、最初に「日常もの」というふうに紹介しておいてこんなオチはないだろ! という意見があるかもしれないので予め反駁させてもらうと、これは詐称ではありません。僕は最後まで「彼らにとっての日常」を、「彼らにとって当たり前の世界」を書いたつもりです。だから、「日常もの」でいいんです。まあ、もちろん読者様を誘導してひっかける意図はありましたが。てへ。

 こんなあとがきまで最後まで読んでいただき光栄の至りです。これからもよろしくお願いします。頑張りますので!

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