2016年11月9日

迷わない森

 夜半。僕は屋敷を抜け出して森の中を歩いていた。隆々と盛り上がる木の根に躓かないように、少し屈みながら手探りで進む。さっきまで背中に浴びていた屋敷の饗宴の声は木々のざわめきに紛れてしまった。明かりのない道にふらり迷い込んだことを悔やみそうになったとき、一寸先に薄ぼんやりと光。驚きに声を上げそうになるのをこらえ、目を細めて確かめると、そこには少女が立っていた。飾り気のないワンピースを身に通し、そこから伸びる白い手足はうすら寒く僕の目に映える。なによりも目につくのは髪を飾るシルクのリボン。かぐわしい薄桃色は彼女の肌の色よりも暖かく見え、吸い込まれるような金髪を後ろで束ねてつるんと垂れ下がる。
「なんだ、こんなところにいたのか」
 やっと見つけた僕は安堵の息を漏らし、彼女の手を取った。とても冷たい。
「けれど困ったな。帰り道がわからない」
 すると彼女は小さく首をかしげた。
「森を抜ける方法なら、知っているわ」少女は静かに微笑んだ。手足と同じように、白く綺麗な顔をしている。
 少女は自分のうなじの上で結ばれたリボンを音もなく解き、端が地面に触れないように器用に両手で束ねた。美しい髪が花のように開き、甘い香りが広がる。
 少女はリボンの片端を差し出して、
「月が隠れると森に迷うわ。このリボンの端をつかんで、きっと離さないで」
 頷いて、リボンをつかむ。空を仰ぐと、ちょうど雲が色濃く空を覆い始めていた。
「それから、下を向いて歩くこと。森を抜けるまで、顔を上げてはだめよ」
 もう一度、僕は頷く。辺りは本当の暗闇になる。
 少しだけ年下の女の子と一緒にいるせいか、僕の口数は多くなる。深くなる暗闇に、人気のない獣道。肌寒さもいや増して、本当は怖くてたまらない。震えがリボンを通じて伝わることもないにせよ、恐怖を紛らわすためにひたすら話題を繰り出した。口数の少ない彼女だが、何か話しかけるたびに小さく返ってくる相づちに、僕はひどく安心をおぼえた。
「それで今夜は屋敷でどんちゃん騒ぎさ。僕の誕生パーティーだっていうのに親戚みんな知らないやつばかりだし。最終的には僕をほっぽりだして兄さんを囲んでよろしくやってるよ。僕はもう、なんだか面倒くさくなっちゃって」
 それで抜け出してきたんだ。そう言いかけて、足が止まる。
 僕は誰も探してなんていなかった。だったら、この暗闇の向こうでリボンの片方をつかんでいる少女はいったい誰なのか。いつまで経っても、相づちを打つ声は聞こえてこない。ぞっと背中を這い上がる寒気をこらえきれず、顔を上げた。
 夢を見ていたのかと思う。目の前にはさっき抜け出してきたはずの屋敷があり、辺りはすっかり朝になっていたのだ。振り返ると森の木漏れ日のなかで小鳥の囀りがこだましていた。ところどころ切り傷のついた手足や破れてしまった服が確かに森での冒険があったことを示していて、僕の右手には薄桃色のリボンだけが残る。
 それ以来、月の隠れる夜にはいつもリボンを返しに行こうと思うのだけれど、僕は二度とあの少女と出会うことはなくて、森で迷うこともできない。


(1259字)


お題「リボン」での掌編。ちょっとホラーな童話っぽい何か。
この話の内容で1000字くらいに納めたかったですが難しい。分量のコントロールが未だにうまくできません。くそう。

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