2014年11月1日

「リリィ・シュシュのすべて」





 岩井俊二監督の2001年の映画。

 もともと大好きで、ただ短期間に何度も繰り返して見るには少しハードな作品ってこともあってしばらく触れずにいた作品だったんだけど、最近なんとなく観る元気が出たので観たらやっぱりいい作品でした。

 おすすめしようと思って書きます。すでに観た人とは感想を共有したいとも思っています。なので内容に関するネタバレはあまりしないつもりです。


 田園の広がる地方都市で暮らす中学生の蓮見雄一(市原隼人)は、学校で突如荒れだした同級生の星野修介(忍成修吾)にいじめを受け鬱屈した日々を送っている。唯一の救いはリリイ・シュシュというアーティストの歌を聞くこと。自ら「リリフィリア」というファンサイトを主宰し、様々なリリイファンと交流する中で【青猫】という人物に出会う。 日を追う毎に過酷になっていく現実と、リリイの歌の世界とのギャップを埋めるように【青猫】と心を通い合わせていく雄一。そしてついにリリイのライブで【青猫】と対面する。

 まず目につくのはとにかく美しい映像表現だ。日本で初めてHD規格で撮影された映画らしいが、このことには「あぁ、岩井俊二監督は映像に強いこだわりがあるのだな」というくらいの意味しかない。映画において、ほとんど画質は問題じゃない。もちろん高画質であることに越したことはないが、「名画」の必要条件ではないということだ。

 彩度の高い画面、異常な色彩感、構図、特にモチーフの配置のバランス感、そしてアンバランス感。とにかくセンスの塊みたいな画だ。ほぼ全編にわたって手ブレのような不安定さをたたえた映像となっていて、物語中盤の沖縄旅行のシーンなどはまるごとハンディカムで撮影されている。そのため画質はほかと比べて著しく悪いが、それもまた演出意図なのだ。

 不安定な映像は観るものの心も不安定《センシティブ》にさせる。

 新緑の田園とポータブルオーディオに耳を傾ける少年、澄んだ青空に舞うカイトと電波塔……、

 あまりの美しさに涙が出るほどだ。


 あまりに過酷な“14歳のリアル”。ひどく陰鬱なテーマを抱えた作品ながら、同系統の作品にありがちな閉じた感じがない。ゼロ年代に様々な媒体で多く描かれた「セカイ系」と呼ばれる作品群やその他の多くの「閉じた世界」を描く物語とは一線を画している。描かれるものがことごとく、他人事とは思えない。漫画家の浅野いにおの言葉を借りるなら、「観るものそれぞれの日常に還元できる具体的な価値観のなかにある」。万引き、いじめ、援助交際、レイプ、自殺。遠いようで身近なリアル。安易なモチーフの羅列にも見えるが、それぞれが丁寧に描かれているためその説得力には圧倒される。役者(特に星野役を演じた忍成修吾)のみずみずしく且つ体当たりの演技がより一層そういった気持ちを強く起こさせる。


浅野いにおの漫画「おやすみプンプン」のなかで、漫画編集者と若手作家が議論する場面。
議題は「読者にとってマンガが、現実逃避か、現実と戦う武器になるか」
漫画にとどまらず、あらゆる表現にもあてはまる話だと思う


 実はこの映画、もともとは監督の岩井俊二が立ち上げた掲示板の書き込みによって進行するという斬新なスタイルの作品が原作。掲示板の書き込みは一般人にも可能で、それも含めてストーリーが展開していたらしい。そういう理由もあってか、時系列が若干前後していることを度外視しても、一見すると少し散漫な展開だ。

 だが、それもこの映画の過酷なまでのリアリティに寄与しているといえる。なぜなら現実には何もかもが秩序だって動くわけではないし、起承転結なんてものはありえないからだ。そうしたいくばくかのナンセンスさもリアリティの一部となっていることに気付く。

 ちなみにこの掲示板は今も存在しており、書き込みも可能。また、それを基にして岩井俊二が書いた小説「リリイ・シュシュのすべて (角川文庫)」も存在する。

 物語はあくまで主に蓮見の視点から語られる。しかし本当の主人公は蓮見ではなく星野のほうなのだと思う。初めて見る人は特に星野に注目して観ると作品全体の理解がより深まるかもしれない。


 ありふれた閉塞感から破滅的に進む物語の結末に残された一片の救い、あれこそがこの映画の最大の美だと思う。観終わった後の爽快感は他の映画に追随を許さない。飽和したエーテルの最も濃密な部分がそこにある。

 作中の架空のアーティスト「リリィ・シュシュ」の音楽には「エーテル」がある、と彼女のファンたちが口々に言う。エーテル。この言葉について詳しく言及されることはないけれど、これは音楽用語の「グルーヴ」みたいなもので、「リリィ・シュシュ」の音楽を媒介する美的感覚、ともすれば宗教じみた崇高なフィーリング。


 山戸結希監督の映画「5つ数えれば君の夢」のパンフレットに、「『リリイ・シュシュのすべて』が開いた新世紀の青春映画の扉を、2010年の『告白』から『桐島、部活やめるってよ』が通り抜けてゆく。」という記述がある。「リリィ・シュシュ」以前にも青春映画は数多く存在した。だけどそこを突き抜けてリリィ・シュシュはフロンティアとして存在するわけだ。この系譜が今後どのような発展と輝きを見せるのか、期待して止まない。もちろん多才な岩井俊二監督はもっと多彩な作品を発表して世間をアッと驚かせてくれるだろうが。
 僕はこの時代にいることを誇りに思う。

0 件のコメント:

コメントを投稿