2015年3月10日

回転式こたつトイレ

 長年勤めた会社をクビになって鬱だ。鬱だから病院に行く気力もなくて、家に籠もってただぼんやりしている。クビになったのは誰のせいでもなく不況のせいで、俺は俺をクビにした上司の判断を責められない。というか実際のところ俺は今せいせいしているのだ。たぶん鬱は会社に勤めていたときから俺の精神を蝕んでいて、会社を辞めさせられて少し余裕ができたことによって自分の鬱に自覚的になれたんだろう。それにしても精神科ってやつはわりに調子のいいときには行かなくてもいい気がするし、調子が悪いときには行くような気力もないから、遠いよな。なんてことを考えている。こたつの中から一歩も外に出ずに。 俺は六畳の狭い部屋のなかに生活に必要なインフラ設備をおおむね詰め込み、部屋の中央にあるこたつから手の届く範囲にそれらすべてを設置した。一週間分の食糧を押し込んだ冷蔵庫に、肌着の山、テレビ、ステレオ、漫画だらけの本棚、トイレットペーパー、エトセトラ。ひとまずそれで少なくとも一日はこたつから出ずに済む。生活の基本を三字で衣食住と表現することがあるけど当然この中で一番重要なのが食、次いて住、衣へとランクが落ちるにつれてその要素は「楽に生きるためのもの」という色合いが強くなる。端的に言えば衣とか住は究極的には絶対必要なものじゃないけど、俺は今病気なのだ。楽に生きたいから、食うだけじゃなくて、雨風しのげるアパートの一室に鎮座し、下着をとりかえる。でもそれより生きていくためにもっと必要なのは実はテレビとかステレオとか漫画だらけの本棚だったりはしないだろうか?俺はこれらがないと一日をやり過ごすのにも一苦労するだろう。下手すると自殺するかもしれない。本当に衣食住だけでやりきれていたのは人類の初期くらいのもので、現代は文明や文化がある以上その基準に合わた生活をしないと生きていけないのかもしれない、と考えるのは傲慢か。
 どうしても部屋の中に設置できないのがトイレだ。配管とかいろいろあって動かすにはお金がかかるし、それに勝手にトイレの位置を変えていいような賃貸契約じゃない。まあ常識的に考えて無理だ。で、ペットボトル。排尿は全部それで済ますことにした。こたつから腰を出して下着の隙間からちんちんをぼろんと出して、ペットボトルの小さい口にあてがう。そして発射。勢いよく黄色がかった透明の液体がジョワーッと溜まってゆき泡立つ。ジョワーッ。けっこうたくさん出るもんだなと思う。普段は小便器に小便をひっかけても流れてゆくだけで量としての実感はほとんどないけど、500ミリリットルのコカ・コーラのボトルに一回出すだけで約半分から満タンくらいになるとそういうのがはっきり可視化されてちょっと気持ち悪い。でもそんなのはすぐに慣れる。慣れなければならないと意気込むまでもなく。
 しかし問題は口の小さいペットボトルだと高確率で失敗するということだ。ペットボトルの口からあふれたり、ちんちんの角度を見誤ってピシャーッとあらぬ方向に飛び散ったりしてしまう。とはいってもペットボトル以上に便利な道具があるわけでもないので仕方がないと思う。トイレットペーパーで拭けるぶんだけ拭いて、とりあえずは大丈夫。こたつは四辺あるのだ。被害があったのはそのうちのたった一辺に過ぎない。時計回りにひとつ移動してやればいいのだ。と俺はこたつの中をくぐって移動してしばらくすると尿意をもよおしてペットボトルに発射しようと思うけど、また失敗する。ピシャーッ。小便がうまくいかないのは包茎のせいかもしれないなと思いつつまた移動する。そうやって一辺、また一辺、の移動を繰り返すと四度目には元の場所に戻ってしまう。まあ気づいてはいましたよ。でも気づかないふりをしていた。人間はそうやって生きるものだから仕方ない。みんな騙し騙しやっている。でも実際は、元の場所に戻ったところで何の問題もなかった。拭ききれなかった小便も、こたつの熱で乾いていたのだ。こたつマーヴェラス!俺はさっき小便をこぼした場所に何事もなかったかのように尻を置き、そしてまた当然のごとく小便をミスる。俺は全然学ばない。延々と続く回転式こたつトイレ。ぐるぐるぐるぐる。それが毎日のように続く。ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる。このままいけば俺はバターになっちまうんじゃないか?
 でも結果的に俺がなったのはバターじゃなくて大金持ちだった。俺はこたつにトイレを組み込んだ「コタレット」を発明して巨万の富とはいかずとも一生働かずにこたつのなかで過ごせるくらいの稼ぎを手に入れたのだった。俺が学んだことは、どんな経験もいつか役に立つかもしれないって教訓じゃなくて、排泄はちゃんとトイレで済ませってこと。ウンコをペットボトルでするのは難しいし、こぼした小便は乾いてもこびりついて臭いっていう当然の気付き。
 しかしそんなことになっても鬱は治らない。俺の精神に固着して剥がれない。そもそも鬱病ってのが小便臭いガキが罹る代物で、小便と同じように、鬱もこたつのぬくもりが乾かして蒸発させたけどちゃんとその核になる部分が残留していてこびりついたのだ。俺の精神に。精神世界にはコタレットが存在しないから一生臭いままだ。それを自分に許し他人に許されながら生きていかなきゃいけないんだ。
 まあそんなことは本当はどうだっていい。俺は今こうして新型コタレットのサンプルに下半身を突っ込んで寝そべっている時間が楽だし楽しいのであって、それこそが鍵だ。人生をそれなりにうまくやっていくためのね。それも教訓。

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