2015年3月2日

うどん食べに行った話

京都の伏見にある有名なうどん屋に行こうと思い立つ。ちょうど今日予約の入っている病院が近くにあるということだし、行かない理由はあるまい。

昼過ぎ、今日は陽気な天気だ。降り立った駅からしばらく歩いたところで、悲愴な雰囲気を感じた。スーツ姿の女性が泣き腫らした目で、コンビニで買ったらしい花を手に道端を歩いていたのだ。表情はもちろん、歩幅の小さい歩き方にも、負の印象を受けた。なんというか全身で悲しみを振りまいていたのだ。やがて、ぼうっと立ち尽くす僕とすれ違う。僕ははっとして後ろ姿を見て、ああ、彼女は交通事故現場に花を備えに行くところなのだろうと直感した。で、あるならば。平日である今日スーツということは、仕事の昼休みだろうか。歩きだから、事故現場は仕事場の近く。仕事場の近くということは、死んだのは彼女の仕事場の同僚……。

次から次へと妙にリアリティのある想像が浮かんで、息苦しくなる。僕の想像の正誤どちらにせよ、僕と同じこの世界に存在する圧倒的な悲しみとふとした瞬間に遭遇すると、どうしていいのかわからなくなる。どうすることもできないし、してはいけないのかもしれないけど。

そんなことを考えながらうどん屋の前まで歩いていた。京阪藤森駅から歩いて数分のところにある「大河」というお店だ。行列ができると聞いていたものだから身構えて行ったが、待ち時間もなくすんなりと入れた。看板メニューらしい「大河盛ぶっかけ」を注文して、上着を脱いだりお茶を飲んだりしているうちに「お待たせしました」。早い。しかも目の前には皿に盛られた天ぷらの山。うどんはその下からのぞいている。うわっ、豪華。どれどれ。まずはだしをかけずに麺を口に運んでみる。すると衝撃が走った。


「コシがある。しかも、柔らかい!」

今までなんとなくコシのあるうどんは麺そのものが固いというイメージで生きてきた。それが一口で覆されたのだ。世界像がぐにゃりと歪む……。気を取り直して、少しずつだしをかけながら、一口、二口と噛みしめていく。天ぷらもかじる。さくさく衣。うん、おいしい……。
この美味しさを美味しいと素直に思えることが、どれだけ幸せだろうか。小さい幸せをちゃんと受け止められるってことは、どれだけ幸せなことだろうか。

世界には悲しみで満ちていて、それでも小さなたくさんの幸せに支えられてなんとか回っているんだと思う。僕には人の生き死にレベルの悲しみはないにせよ、毎日が暗鬱で、死にたい気持ちを抱くこともしょっちゅうだ。病院に通っているのも精神的なケアのため。それでもこうしてうどん美味しいって言えることはきっと幸福なんだ。今の僕には素直に受け止めることはできないけど、たぶん客観的にはそうなんだろうなと思う。世界の悲しみに眩んだまぶたを閉ざしちゃダメなんだ。小さな幸せを見つけなきゃいけないんだ。そうしないと、人は生きることに負けてしまうから。

スーツ姿のあの女性は今はこのうどんを食べてもその幸せが見つけられないかもしれない。それでも、いつかは笑って食べられるようになつているといい。それまで潰れないで繁盛していてくれ、うどん屋。

僕だってきっとまた食べに行くのだから。

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