2016年6月24日

インスタント仏陀

 自分のものではない荷物をひたすら箱詰めして、ガムテープで封をするたびに思い出が身体から切り離されてゆく気分。ドライヤーとか電気ケトルとか、ふたりで共有してたものはどうしようか聞きながらワイワイやってたのも最初のほうだけで、だんだんつらくなってきた私はそういう荷物を後回しにしてひたすら佐奈の持ち物だけを手にとって詰める。ふたりで買ったペアのティーセットも、半分だけ新聞紙でくるむ。
「あはは! ティーセットは別にええよ。そんなん引っ越してから揃えるし」
「え? でもわざわざ買うくらいなんやったら持っていきや」
「やよいはホンマにニブちんやな。健一くんと選ぶことに意味があるんやんか。そういうとこ今の男の子はけっこう気にするんやで?」
「知らんがな」
 私は笑うが、本当に知ったこっちゃないしうんざりだ。
 ついこの間まで処女だった佐奈がなんだか急に『これだから男は』から始まる愚痴を語るようになったけれど、そんなふうに一般化できるほど男性経験があるわけではなかろうに。男っていうか、健一くんだ。佐奈は明日からの健一くんとの暮らしに夢中で、ひとりぼっちの私に残されるペアのティーセットがいかに所在ないか考えてはくれない。
「まあ、そもそもティーセットが要らんかもな。断捨離、断捨離」
 佐奈はつい最近聞きかじったような単語を鼻歌交じりで口にする。実は健一くんは一ヶ月間インドに留学したことがあり、ガンジス川で溺れそうになったことで何かを悟ったのだとか。佐奈も変に影響を受けて、セックスは神秘だ、悟りだとか仰々しい。今は健一くんがスパイスから作るインドカレーにハマっているみたい。あとチャイとかも淹れてくれるらしくて、それはちょっと羨ましい。
 最後にダンボールに入りきらなかったよれよれのTシャツは「やよいにあげるわ、断捨離や」と部屋に置いたままで、ようやく引っ越しの準備が済む。
 その時ちょうど外からパアッとクラクションが鳴り、
「あ。健一くんや。おーい!」
 佐奈は窓から身を乗り出して、マンションの下にいる健一くんに手を振る。その側にはオンボロのトラック。私も小さく会釈をして、それから次々とトラックに荷物を積み込んだ。
 日がすっかり落ちる前に私たちの部屋はがらんと広くなる。傾いた陽光が窓から差しこみ、こんなに赤く染まった部屋は初めてだ。私たちの数年間にわたる共同生活が、ついに終わる。これから佐奈は健一くんと共に暮らし、きっとうまくやっていくだろう。初めて会う健一くんは頭にターバンを巻いていて胡散臭いが、そういう薄っぺらいところが佐奈と似ていて少し安心もする。いろいろ文句も垂れる佐奈だが、結局のところふたりは似た者同士なのだろう。
 だけど私は、これからどうなってしまうのか。ベッドの跡の残る床を撫でながら、愛しい気持ちに満ちてゆく私。窓から見下ろしたふたりは談笑していて、この夕日の中で幸せに包まれて輝いて見えた。
「一人で勝手に幸せになりよって。佐奈のアホー!」
 私は叫んでいた。佐奈にこんなことを言うのは初めてだったかもしれない。しばらく呆気にとられた佐奈はにっと笑って、
「ひとりちゃうわ!」
 きょとんとしたまま肩を抱かれる健一くんがはにかむ。
「せや、やよいも一緒に住もう! ほしたら三人や!」
 大声で笑う佐奈に無性にムカついて、窓から佐奈のTシャツを投げつけた。
「なんや。私いらん言うたやん!」
「私かていらんわ。断捨離じゃ!」
 形にならない言葉がぐるぐると脳裏を渦巻く。自分でもよくわからない叫びが口をついて出て、
「てか断捨離ってそんなゴミを人に押し付けるための言い訳とちゃうやろが! 佐奈のアホ! あんたもインドに行ってこい! 悟ったみたいな気分に浸って、ついでにちゃんと勉強してくればええねん! 佐奈のアホ!」
「あはははは! やよいの言うとおりやわ!」
 佐奈は苦しそうに腹を抱えて笑う。たぶん何を言ってもびくともしないのだ。そう思うと急に恥ずかしさがこみ上げて、私は固まる。他所から見ればきっと、安っぽいテレビドラマのような光景。
「ほなな!」
 佐奈はトラックに乗り込み、トラックがぶるんと息づく。私の身体がそこでやっと動いて、鍵もかけずに部屋を飛び出した。
 たくさんの荷物を載せてゆっくりと走るトラックに、すぐに追いつく。全開のドアガラスに手をかけて、驚く佐奈に言ってやる。
「佐奈と一緒にいた時よりも、絶対幸せになったるからな私は!」
「う、うん。てか危ないってやよい!」
 後ろの車がクラクションを鳴らし、私は手を離す。立ち止まり、トラックの背中を見送りながら、いつの間にか私は笑顔だ。
「引越し先、今度遊びに行くから!」
 そこで健一くんにはチャイの淹れ方でも教えてもらうとしよう。そしていつか私に恋人ができたら振る舞ってやるのだ。ああ、そうだ。あのペアのティーセットはその時にでも。男のことはよく知らないが、ふたりで選びたいって人ばかりでもないだろう。
(2000字)



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