2016年11月16日

恋に酔うもまた病なり

 命を全部使い切る勢いで彼女は歌う。汗まみれになって。髪を振り乱し。歌詞や音程を間違えても「あっはっは!」と高校生の女の子らしからぬ豪傑っぽい笑い声で誤魔化した。
「ピーチフィズ!」
 おい未成年、という当然の突っ込みは既に三回ほどやったところなので今度は僕が折れた。電話口でしれっと店員さんに彼女のオーダーを伝えながら、学生料金で入らなかったのはこのためかと今更気付くがもう遅い。べろべろに酔った彼女はもう高い声も出ず、小沢健二の『流れ星ビバップ』のサビのところで裏声になっていた。どうもそれは本人の意図しないところのようで、自分の歌声の可笑しさに腹をよじってのたうち回っていた。
 ただ横で見ているだけの僕までつられて吹き出しながら、僕は彼女の笑顔に輝きを見つける。それはきっと、このたばこ臭いカラオケボックスのカラフルな照明のおかげってわけでもないんだろう。
 彼女にこんな一面があるとは今の今まで知らなかった。
 クラス一可愛いかというとそうでもないんだけど、笑うと華がある。快活明朗で友達も多く、バレー部のキャプテンであるところの彼女に僕は恋をした。身分不相応だと笑わないでほしい。僕だってそれくらいわかっていたつもりだが、それでも日々募る想いを直接伝えられた程度には自分の内向きさを克服できたのだと自負している。
 そう、告白をした。期待してはいなかった。けれど彼女は大げさな身振りを交えながら驚きと気恥ずかしさを顔いっぱいに浮かべていて、そこに少し喜びもあればいいと思いつつ僕は彼女の顔色を伺う。声の出ないままころころと表情が変わるさまは、まるで彼女が自分の感情をあてどなく探しているみたいで、どういうわけか最後に漂着したのは《悲しみ》らしかった。
 泣きそうな声だった。
「君にお願いがあるの。どうか、私を最後まで見送ってください」
 これは、みんなには秘密。そう前置きをしてから、彼女は自分が病気であると打ち明けた。胸の下あたりを手でさすって、
「ここがね、もう、だめらしいの」
 突然のカミングアウトにどう答えていいのか分からず、ただ呆然と立ち尽くす僕に、彼女はまた笑みを浮かべた。
「だから最後に、いーっぱい遊ぶの! 付き合って」
 そんなふうに君が笑うせいで、僕はもっと困ってしまうというのに。わがままな物言いもどこか憎めず、そして連れられるがまま、僕は延々と彼女の歌声を聞かされるはめになった。
「おえ」
「おい……」
 会計を終えて外へ出ると、やはり飲み過ぎたのか、酔拳ばりの千鳥足で彼女はまた豪快に笑った。さすがにこのまま別れるわけにもいかず、「送っていくよ」と彼女の肩を支えながら、こんなところを学校の誰かに見られでもしたらまずいな、二重の意味で、と僕は思う。支えた腕に、意外と重みを感じて安堵している自分がいた。ちゃんと生きている人間の重みだった。命の価値はきっと平等ではないのだろうと考え始めていた僕の思春期が、単なる理屈ではなくて、痛みとして胸のうちに深く刻まれた。もしも神様がいるのなら、そいつはどうしようもなく理不尽なやつだ。
 住宅街に溶け込んだ二階建ての一軒家があった。彼女の家はそう遠くなかったけれど、いつの間にか日が暮れている。僕と彼女の影が並んで伸びていて、背丈がそう変わらないという事実から目を背けた。
 呼び鈴を押すと、すぐに家の中からどたどたと足音が聞こえた。今更ながら、ここで僕は自分が何者であるか、この状況に至った経緯などを説明する必要があることに思い至るのだった。酔いつぶれた娘を抱える、見知らぬ男。なお未成年。どう考えてもよからぬ想像をするに足る状況で、弁解の余地があったとしても聞く耳を持ってもらえるかどうか定かではなかった。彼女を家の前に置いて逃げ帰る、という現状思いつく限りの最適解に至った時にはもう遅く、扉は開かれた。
「あちゃー」
 中から現れたのはおそらく彼女の母親で、とてもよく似ている。リアクションが大げさなところとか、特に。おばさんはまたか、というニュアンスをにじませた足音でバタバタと駆け寄って、彼女のもう片方の腕をとった。目が合い、僕は会釈する。
「あんた恋人?」
「……そういえばまだ返事を貰ってないです」
 おばさんはしばらく考えてから「そう。送ってくれてありがとう、少年」とだけ述べ、彼女を僕から受け取った。「ありらろう少年!」と彼女が回らない呂律で倣う。
 説明をほとんど求められなかったという事実に、僕は戸惑っていた。ひょっとすると家族は彼女の放蕩を黙認しているのかもしれない。彼女の残りの人生を好きに生きてほしいという愛情を思って、少しだけ僕は苦しくなった。僕なんかが彼女と一緒にいていいのだろうかと、ちくりと胸に針が刺す。
 そんなことを考えながら、母娘が玄関へと歩いていく背中を見送っていると、思い出したかのようにおばさんが振り返って言った。
「あ、このことは秘密ね。聞いたかもしれないけど、この子病院から止められてるのよ、お酒。来週から本格的に禁酒するって決めたから、それで最後に飲み納めってことかしら。もしまた見かけたら止めてあげてね。どのみち未成年だし、それにアル中の恋人なんてイヤでしょう?」
 たぶん笑い事ではない事実をさらっと口にされて、頭が真っ白になった。見送った背中が扉の向こうに隠れても、しばらく僕はその場に立ち尽くしていた。
「私を最後まで見送って」って、もしかして。酔っ払うから家まで送れってことだったのか。胸の下あたりのだめになった部分って、肝臓のことだったのかよ!
 これ以上は考えたくなかった。彼女はしぶとく長生きするに違いない。それから、神様はやっぱり理不尽だということがはっきりと分かった。
 二階の窓を叩く音がした。見上げると彼女が両手をぶんぶん振って、子供みたいに笑っている。反射的に僕も手を振り笑みをこぼしてから、しまった、と思う。
 どうやら僕もかなりの重症らしい。


(2402字)





酒飲みの女子高生って可愛いかなと思って書いてたけど、読み返すと普通にヤバい。
最近『君の膵臓をたべたい』を読んでいて、ちょっとパクったというかあれをネタにしてふざけてみた感じです、すみません

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