2016年11月18日

錆の味

 妹の洋子は錆びた金属に触れるのを心底嫌った。触れると激しい発疹や発汗が起こり、酷いときには失神してしまうほどである。自然、洗い物や掃除などをさせるわけもいかず、俺が代わりに家事をする。偶に釜や鉄瓶の外側についた赤錆を落としてやる。
 医者に診せるとアレルギーではなく心因性のものではないかと言う。曰く、もし金属アレルギーであれば錆びていない金属にも反応するはずであり、錆にのみ反応する症例は聞いたことがないらしい。とはいえ暫くは様子見ということで抗アレルギー剤を出すこともできるが如何か、と医者は問うた。まったく商売上手な医者である。慌てて俺はかぶりを振って、診察料だけを支払った。
 我が家には金がない。父も母もおらず、働く者は俺一人である。俺が仕事から帰ると、洋子は布団に伏せていることが多い。活発に外で遊ぶことも許されぬ身体で趣味もなく、俺の帰宅に気付いて起き上がると心底ほっとしたようにか細く笑う。二人で晩飯を共にする時間だけが喜びであるらしかった。
 そんな洋子がある日恐ろしい夢を見たという。聞くと、夢の中で俺は鉄瓶の赤錆を落としている。しかし何度落としても同じ位置、同じ形に斑の錆が浮かび、躍起になった俺はそのまま寝食も忘れて金束子を擦る。するとようやく剥がれた錆の屑がぼろぼろと落ち始めるのだが、見れば剥がれているのは俺の指である。指先がまるで腐食したような具合に脆く崩れて、次第にそれが手首、腕、肩、胸にまで及ぶと五体がばらばらになった。それでもまだ腐食は続き、すっかり俺が消えてなくなってしまうその瞬間に目が覚めたという。
「やはり錆というものは怖いものだわ。兄様、ねえ、錆は人に伝染るのよ。屹度。」
 俺は生まれて初めて呪いというものを信じた。洋子はこの斑赤錆の鉄瓶が東北生まれの母親の嫁入り道具だということを知らないはずである。父が母を火鉢で殴りつけて殺したことも、まだ幼かった洋子には教えなかった。ただ二人は不慮の事故で亡くなったと今でも信じているだろう。俺は洋子の話を聞いて、この鉄瓶の赤錆が母の血飛沫の名残であると考えた。とたんに背筋の冷える思いがしたが、この鉄瓶を無碍に捨てる訳にはいかなくなった。
 湯を沸かす。湯垢のついた鉄瓶がじくじくと音を立てて震えた。食事を終えて、洋子と二人で白湯を飲むと、舌に柔く身体の芯から温まる優しい味だった。見れば洋子も同じように喜んで笑っている。なるほどこれが母の呪いであろうと合点した。

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