2016年11月10日

日記

 教養というものがなく、この歳になるまで読書というものをほとんどしなかった。大学に通い始めて四年が経とうとするこの冬まで。それも文献を読み下す量と質が明暗を分ける人文学系の学徒でありながら、である。もちろん学業方面においては暗い地の底を這うような成績を修め続け当然のように留年している。
 そんな私も人のすなるラノベというものを、私もしてみんとして読むなり。という訳でリハビリを兼ねて『冴えない彼女の育てかた』など読みながらやはり納得の読み易さ、エンターテインメントというものもなかなかどうして、などと納得するようなふりをしてみる。いや結構読めるではないかと思って今度は専攻分野の入門書や基本的な論文など読んでみるが、これがまさか『冴えカノ』と同じ日本語で書かれているとは思えぬ難解さ。指を口元に添えて「ンッンンン」などと唸ってはみるが中身がまるで頭に入らない。冴えカノとどこがどう違うのか判らないがとにかく私にはやはり学がないとみえる。薄々自覚してはいたがいよいよ自分の非力さから逃げることも難しくなってきた。なにせ卒業の可否が関わる。
 そんななか、ここ数日は少しまた読書が楽しくなってきたのか、ミステリ小説の『ハサミ男』を読み終えた私はまた別のラノベ『白蝶記』を読み進め、今度は川端康成の『掌の小説』という、掌編を山ほど収録した文庫本を読みふける。いやはや、面白い。面白いということが判るようになったことがこれまた嬉しく、ページを捲る手は止まらない(ただし読む速度は非常に遅い)。そして文字を追いながら、ふとその指先に視線が奪われた。それまで本を読んでこなかった私は、そこで久々に自分の指先というものをまじまじと見詰めたのだが、こいつがなんとも皺だらけなのである。季節の寒波も一因だろうが、その時私は、老いというもののいかに無慈悲であるかを思い知る。ろくに本も読まずに、漫画とアニメと映画だけで飽食したようにただ老いてしまった無慈悲さよ。光陰矢のごとしという言葉はアニメ『時をかける少女』で学んだはずなのに、現実に還元できていない。所詮私は消費するだけの豚なのか。悲しきオタク。
 教養がどうのといったことは別にしても、単純にこれまで良書に触れてこなかったことは勿体ないことであるし、それにやはり専攻分野の文献を読み下すためには読書筋を鍛える必要がある。
 指先の冷える季節、血流をよくして読書に耽りたい。手先にはメンソレータムを塗ろうと思う。べたつかない程度に。

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