2015年2月22日

今日思ったこと

しばらく前にとある映画のレビュー記事で
「この作品が、作者が長らく抱えていた問題意識にたいして新たに答えを出しているわけではない。それが残念」
といったようなコメントを見ました。

で、僕は映画にそういう「答え」って必要なのかなあ?
なんて思ったわけです。

映画だけじゃない。演劇だって小説だって漫画だって音楽だってそう。
こういった手段はどれも、「答えがありそうなところ」の周りをぐるぐるぐるぐる巡り巡るものだと僕は思うのです。
何かはっきりした答えを出すには向かない手段、と言ってもいいかもしれない。
感覚を受け手にある程度委ねるしかない以上、明確な何かを描くにはどうしても向かない(不可能ではないだろうけど)。
答えが既に出ているならもうそれ以外の要素を削ぎ落としてシンプルな論文にでもまとめればいいし、むしろ、口に出す必要すらないかもしれない。

作品というのはそれを通じて何かを考えるための道具であって、それ自体答えであるようなものはある意味つまらない作品なのかもしれません。
だって考えたり想像したりする楽しみがないわけじゃないですか。
まあ、小説の前にネタバレwikipedia読んだりしても全然楽しめちゃう人には、そういうものでも楽しいのかもしれないけど。

僕はやっぱり答えのない作品のほうが、答えのまわりをぐるぐる散歩しているほうが、楽しい。

僕はものを考えるのが苦手、というか何かわかりやすい答えを出すのが苦手でいつも答えと答えの狭間でうずくまるタイプです。
そのせいもあるのかもしれない。

そんな僕だからたまにちょっとした小説を書いてみたりするのは、そんなに不向きってわけでもないのかもな、と少し思ってほっとして、今夜も眠い。


<2015/02/23追記>
でも何かに対する答えをわざと入り組ませたかたちで構築した作品というのも面白いし、一概に答えのないものが良いとは言えないのではないか、と後になって思いました。
んーむ、奥が深い。

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